地球統合軍とゼントラーディ軍・ボドル基幹艦隊との戦いの結果、地球全土が焦土と化してから、間もなく一年を迎えようとしていた。
ラン・アルスールも荒野での生活に大分順応を果たしてきた。と、いっても決して妥協した訳ではなかったようだが、とにかく、シャワーがないことにも、下着の替えが足りないことにも、どんなに用心してもベッドに砂粒が入ってくることにも、その堅くて狭い簡易ベッドの上で寝返りを打つことにも、慣れたというよりむしろ、諦めがついたようである。
記憶は相変わらず戻ってはいない。
その事を一番気にかけていたのはフィムナであった。記憶のことよりも、むしろ上官の体調の変異が、ひどく不吉な予兆のように彼女には思えるのであった。ランが度々頭痛を訴えるようになったのも、また時々、電池が切れたかのようにぼうっとすることがあるのも、彼女が記憶を失ったことと関係するのかどうかはフィムナには分からない。が、すべてはこの星に降り立ってからの変化である。
「いや、違うぞ――!」
重要なことに、フィムナは気付いた。
確かこの星に来る少し前、ランが頭痛がすると言っていたことを思い出したのだ。その時はさほど気に留めなかったのだが、考えてみれば彼女はこれまで一度も頭痛などと言ったことはなかった。
――何故だ――
疑念の種が、フィムナの心に撒かれた。
しかし、ここはランの居る野営地からは2000キロ以上離れた荒野のただ中、戦艦アルタミラ捜索の旅路である。
目の前には実に荒涼とした風景が広がっている。地平線まで続く焦茶色のごつごつとした砂礫の大地に、ところどころ、地面からしみ出た水分が凍りつき、夕暮れの太陽を反射して弱々しく光っていた。
生まれてから一度も足を土につけたことのないフィムナにとっては、それは異次元めいた光景に見えた。このよそよそしい景色のどこかに、懐かしい艦が眠っているなど想像し難かった。あるいは、すべては悪夢で、自分はいまだその夢から醒めていないだけなのではないだろうか…。
「何、ぼやっとしてるんだい、行くよ」
背中から声をかける者があった。彼女の立つ小高い斜面のふもとから、捜索部隊の隊長、ヴェルティンカが見上げている。
アゾニアと同じく、地上の戦場を渡り歩いてきた女戦士。鋭い眼光には好意も、これといった敵意もなく、この星と同じに乾いていた。
フィムナは黙って彼女の後を追って、斜面を降りた。
そもそも彼女にとっては、この星の上のものすべてが、この星で出会った同胞を含め、相容れないのだ。かなう限り早く、無念の死を遂げた仲間たちに代わって、上官をこの星から連れ出してやりたかった。
一方のアゾニアの本隊は、草木一本ない乾燥しきった山岳地帯を、転々と根城を変えながら移動する生活を続けていた。
上層機関とのつながりを全く絶たれた、この寄せ集めの兵士たちが、一年近くも士気を保ち続けてこられたのは、ひとえにアゾニアのカリスマと、彼らにとってはささやかながら、時折行われる戦闘によってである。戦いとは、彼らゼントラーディ人の精神の活性化に不可欠なものであった。
そしてそれらにおいて、記録参謀ランの果たした役割は大きかった。
彼女は盗聴した通信や偵察で得た情報から、食料や武器の保管場所、各基地の戦力や編成、パトロールのローテーション等に至るまでをかなり正確につかんでいた。彼らが統合軍の必死の捜索の網をくぐりぬけて、移動を続けることができたのもそのおかげである。
断片的な情報を元に物事の全体像を構築する。それこそが記録参謀の真骨頂であった。
あの謎の「民間人」とやらについても、その意義は分からなくとも、地球人は民間人をまず避難させ、保護しようとする。という事実は見抜いており、それは彼らの弱点としてインプットされていた。
しかし、あのあまりに得体の知れない「民間人」にかかわることは、やはり避けた方がいいのではないか、そうゼントラーディ人たちに思わせる出来事が起こることとなる。
それ自体は当初、ごくささやかな事件に思われた。
その日、街の倉庫街を襲撃に出た部隊が戻り、点呼を済ませた後のことである。一人の女兵士がランの元へと近づいて、なにやらスティック状の物を差し出した。
「参謀、ちょっとこれ見てくださいよ」
その手にあったものは、ランも見たこともない物だった。おそらくは樹脂製と思しき透明の筒の中に、さらに赤、青、白の斜めの縞模様が施された筒が入っている。
「建物の壁にくっついてた時は、これがくるくる回って面白かったんだけどなぁ」
少し残念そうに言いながら、兵士がそれを渡そうとしたその時、大地を揺るがすかと思うほどの怒号が二人の上に襲いかかった。
「こらああああっ」
声よりも早く走り来たアゾニアは勢いもそのままに、兵士の手を払った。
弾き飛ばされた戦利品は乾いた地面に叩きつけられ、あわれにも真ん中から砕けてしまった。
「うかつに敵の物を持って帰る奴があるか!!危険な物だったらどうするんだ!!」
女ボスの剣幕に、兵士は縮み上がって許しを請うた。彼女は元々アゾニアの部下ではなく、そういった戦場の危険には疎かった。
「こういう目立つものはなぁ…アッ、ラン!」
アゾニアが目をむいたのは、相棒がその物体の残骸を無造作に拾い上げたからである。
湯気を出す女ボスの側で、少女はそれをあちこちから眺めたり、ひっくりかえしたりしていたが、やがて得意そうな笑顔になった。
「危険なものじゃないみたいだよ…アゾニア。中に発光体が入ってるだけだし、信号灯の一種じゃないかな」
「お前ねぇ、そういう問題じゃないの。兵士の心構えの問題なんだ・よっ」
アゾニアの手が再び動き、今度はランの手を下から小突いた。物体はその手から跳ねて再び地面に落ち、さらにいくつかに割れてしまった。
「あーあ…」
「あーあじゃないっ!ったく、お前だって兵に示しをつけなきゃならん立場なんだ、それを忘れるなっ」
謎の物体を睨み付け、その最期を確認したアゾニアは鼻息も荒く、周りの兵士達をぐるりと見回すと、大声で威嚇した。
「いいか、今後マイクロンの街から何か持って帰ってきやがったら、ブッ飛ばすからな!!」
「ま…そうカリカリするな」
指揮用天幕の中、椅子にどっかりと腰かけ、いらいらと指先で机を叩く不機嫌の塊に、ソルダムはなだめるともなく声をかけた。
その机の上には見慣れぬ品々が無造作に積まれている。
あの後、あれほど厳命したにもかかわらず、マイクロンのものを隠し持っていた者が他にもいたことが露見し、女指揮官は怒りを爆発させた。
アゾニアは部下を殴ったりすることは滅多になく、体罰といってもせいぜい耳や頬を引っ張る程度であったが、それでも不心得者に対する懲罰効果は絶大であった。が、部下を怒れば怒るほど、それに反比例して彼女のストレスは増大しているようである。
「…確かに、奴らの街にゃ珍しいモンが多すぎる…兵どもが気をとられるのも無理はねえ…」
ソルダムの言葉は、薄水色の一瞥で報われた。
「あたし達は烏合の衆なんだ。規律が緩めば崩壊する」
「…かといって、モノを手に入れるには奴らの施設を襲うしかないんだ。近づかない訳にはいかねえぞ」
「……」
「そぉだよ。食いもんはどうすんだよ。もう自前の分は底を尽きちまうよ」
その向かい側で、右手は頬杖をつき、左手で机の上に並べられた没収品を弄んでいたドルシラが、二人の会話に割って入ってきた。
「うるさいな。お前はあの白い粉でも食ってろ」
アゾニアが鬱陶し気な視線を向ける横で、あまりに無用心なドルシラの様子に、ソルダムは苦言を呈した。
「お前、あまりべたべた触るなよ」
その忠告をわざと無視し、ドルシラはその奇妙な品々の中から一つをつまみあげた。それは精巧にできたマイクロンの女の等身大模型で、彼らには理解不能な、明るいピンクや白を使った衣服を身に着けていた。
「何に使うんだぁ?こんなもの…」
ドルシラはそれを隣にいたランに見せた。その途端、彼女の顔に弱電流が走ったかのように強張ったのを見て、一瞬、あっけにとられたドルシラだが、赤い瞳に明らかに怯えが隠されているのを見て取ると、獲物を前にした猫のような顔になった。
「へぇー、こんなのがコワイのかよ?」
意地の悪い笑みを満面に浮かべ、その模型をわざとランの鼻先に突き出す。
ランは身をそらしてそれから遠ざかろうとしたが、椅子の上では限界があった。ドルシラはさらにかさにかかって追いつめた。
「ホレ!」
「やめてよ!」
「下らねえ真似はよせ!」
ランの悲鳴と、ソルダムの罵声がほぼ同時に響いた。
ドルシラは面白くもなさそうに、手の中のものを机の上に放り出すと、もうその物体にも記録参謀にも興味を失った様子で、再び頬杖をついて大あくびをした。
そんな一連のやりとりをアゾニアは一顧だにせず、腕を組み、天幕の隙間から入り込んできた光に浮かび上がって漂う、埃の群を睨んだままであった。
アゾニアの思考は袋小路に迷い込み、行き場を失って体内をめぐると、やがて乾いた唇の隙間から、懸念の言葉となって吐き出された。
「もし…あたしたちが奴らのものを珍しがって持ち帰ったと知れたらどうする…?奴ら、今度は本当にトラップを仕掛けてくるかも知れないんだぞ」
「……」
しかし、彼らは知る由もなかったが、アゾニアの危惧は全くの杞憂であった。なぜなら、それは地球人にとってはすでに周知の事実であり、敢えてトラップなど仕掛けなくとも、その効果を知っていたからである。
マクロス・シティ、統合軍メインベースのPXは、街の大型スーパー並の品揃えはある。
夕方、ある用事のために買い物を済ませたアランは、帰宅しようとしているドールと行き会った。
彼女は珍しく、アランの姿を認めると向こうから声をかけてきた。どうやら彼が買ったものに興味があったようだ。
「それは…花ですね」
「そうですよ。これから墓参りなんでね」
「ハカマイリ?」
「ああ、そうか…」
アランは少し考え、一緒に来てみないかとドールを誘った。市内バスで15分。街のはずれにあるメモリアルパークである。
広々とした芝生に覆われた公園は、市民の憩いの場となっていた。そこここに、帰り支度をはじめた子供たちや、ベンチを占領するカップルの姿が点在し、ごくありふれた夕刻の風景を形作っている。
砂利を敷き詰めた遊歩道の一番奥に、高さ10メートルほどの白い石でできた、どの宗教も感じさせないデザインの祈念碑があった。宇宙大戦で命を失った全ての人々のためのものだ。
碑の足元の献花台には、隙間もないほどに花束や菓子などが供えられていた。中には家族がどこかのシェルターで生き延びている可能性を信じてだろうか、写真を添えた尋ね人のメッセージも少なくない。
その中に自分の持ってきた花束をそっと加えると、アランは静かに祈りを奉げた。
ドールはアランのすることを黙って見ていた。厳粛な雰囲気を感じとってはいたが、彼が何をしているのかは分からなかったのだ。
アランはやがて立ち上がると、背後のドールに向かって語りかけた。
「ここには、俺の妻も眠っているんだ」
「え…」
振り返ったアランは、ドールが困惑したような表情で、碑の周りに懸命に視線をめぐらせているのを見た。どこに人が横になるスペースがあるのかと探しているらしい。
彼は思わず吹き出しそうになりながら、墓の意味や、地球人の死者に対する考え方などを、ドールにも分かりやすい言葉で丁寧に説明した。
「妻が死んだのは大戦の前さ。本当は故郷に墓があったんだけど、そこも消し飛んでしまったからね。ここを新しい墓だと思って、こうしてお参りしてるのさ」
ドールはアランの説明に完全には納得していない様子だった。
「地球人は死者と話ができるのですか?死者には目も耳もありません。人は死ねば終わりです」
アランは寂しげな苦笑いを浮かべた。ゼントラーディ人らしい考え方だと思ったのかも知れない。
「そうかも知れない…けど、君は今まで一度も、仲間が死んで悔しいとか、悲しいとか思ったことはないのかい?その人の死を納得できなかったことはないのかい?誰が死んでも、あっさり次の日には忘れてきたのかい?」
アランの問いかけはあくまで静かであった。
「……」
「妻は5年も前に死んでしまったけど、俺は彼女を今も愛している。愛しているから、忘れられないし、忘れたくない。大事な人がいなくなったつらさに耐えられなくならないように、徐々にその人の死を納得できるように、ここにその人が眠っているというしるしを作るんだよ…本当はお墓というものは死者のためではなく、生きている人のためのものなんだ」
「生きている人の…」
ドールはかみ締めるように、小さな声でつぶやいた。
「君たちがこの星に来る前、地球人同士で多くの争いがあった。妻はそこで死んだんだ。正直、俺は彼女の死をまだ納得できていない…なんで彼女は死ななければならなかったのか…」
「その方は、戦死されたのですか?」
「違うよ。彼女は民間人さ。戦いには関係ない」
「それは変です」
あまりにドールが明確に否定したので、アランは面くらい、続く言葉を失って真っ直ぐに目の前のゼントラーディ人の顔を見上げた。
「地球人の社会は、軍人と民間人が協力しあって成り立っているのでしょう?どんな職業も、社会には欠かすことのできないものだと習いました。民間人が軍人を支えているのだとしたら、一方の陣営が、敵のどんな構成員であれ、攻撃するのは当然のことです。戦いに関係ないなんて、ありえません」
アランの受けたショックはつまるところ、ゼントラーディ人たちが戦いのない世界に触れた時の衝撃と同質のものなのだろう。
「違うよ…それは違うんだ…」
アランは首を振った。ドールの間違いを正したかったが、うまい言葉を持たない自分がもどかしかった。
「そもそも、人間には人間の命を奪う権利なんてないんだ…それでも戦争が起こったときに、民間人を、弱い人々を守るために戦う役割なのが俺達軍人なんだ。守るべき者がいるからこそ、死だって賭せる…君たちのように軍隊だけが残ってしまった社会なんて、本末転倒なんだよ」
「ごめんなさい…よく分かりません…」
ドールはひどく悲しげであった。
「でも、地球人の死者を想う心は、分かる気がします…」
ドールは一歩前に足を踏み出すと、白亜のモニュメントと、足元に並ぶ尋ね人のメッセージを見比べた。
そしてしばしの思考の後、アランに向きなおり、真摯な表情と共に言った。
「その、お祈りというのを教えていただけますか」
「あ、ああ…やり方は自由だよ。俺の場合はこうだけど…要は心の中で、語りかければいいんだ」
アランはカソリック式に手を合わせてみせた。その動作をドールは真似ながら、ゆっくりと目を閉じた。彼女が誰に祈りを捧げているのかは知れなかったが、その姿を見て、アランは彼女をここに連れてきたことは、間違いではなかったと確信したのであった。
「エキセドル参謀、その後どうでしょう?何か情報は…」
「そ、そういうお話はフェイ少将に言っていただきませんと…」
顔のあたりまで積み上げられた書類の束を抱えながら、エキセドルは困惑の表情を浮かべた。
このところ、作戦部の将校たちからこの手の話をひんぱんに持ちかけられるのだが、彼はあくまでオブザーバーなのだ。一応、組織の道筋は守ってもらいたいものである。
しかし一方で、彼らの気持ちも分からなくはない。と、エキセドルも思ってはいるのだが。
「先月も民間車両が2台やられました。いずれも食品関係です」
「運送会社には該当地区での運行は行わないよう、言ってあるのでしょう?」
「はい、ですが、あのあたりを避けるとなると大変な大回りになるので、無謀なことをする業者もいるんですよ。畜生、奴ら、味をしめやがって…」
将校は苦々しげに語った。
確かにゼントラーディ人にとっては軍も民間も関係ない。むしろ、丸腰のローストチキンがのこのこ歩いていると思われるのがおちである。
いずれにせよ、彼らは積載物が何であるかを正確に判別できているということになる。それに比して、統合軍側の情報収集に関しては、やっとその手がかりができたという程度なのだ。
「確かに、地球の食べ物は刺激的なまでにうまいですからなぁ」
「いや、そんな話じゃ…」
「エキセドル参謀!」
その時、廊下の向こうから、息せき切ってフェイが駆け寄ってきた。
「おお、フェイ少将、どうしました」
エキセドルはにこにこと笑った。肉の落ちた頬や、ぎょろりとした目が気難しそうな印象を与える彼であるが、人当たりも愛想もいい。
しかしこの時のフェイが携えている話題が、吉報でないことは一目瞭然であった。エキセドルは目で将校に退去をうながすと、心持ち首をかしげ、次の言葉を待った。
「それが…例の連絡員の事なのですが…」
「おお、レギン・バルクスですな。彼がどうかしましたか?」
フェイは心なしかすぐれない顔色で、周囲をさりげなく確認すると、腰をかがめて耳元で二言三言ささやいた。
その途端、エキセドルの眼光が、人間のものから無機質なコンピュータの光へと戻った。それは一種異様な眺めで、長年情報畑を歩き、様々な人間の様々な表情を見てきたフェイにとっても、未知の部類に属するものであった。
それは半瞬のことであったが、彼の思考には十分な時間であった。
「…どうも…連中の中には相当悪賢い者がいるようですな…」
静かに、だが確信に満ちた口調でそう言うと、彼は首をかしげたまま、上目遣いにフェイを見た。
「…私と同じぐらいにはね」
ラン・アルスールも荒野での生活に大分順応を果たしてきた。と、いっても決して妥協した訳ではなかったようだが、とにかく、シャワーがないことにも、下着の替えが足りないことにも、どんなに用心してもベッドに砂粒が入ってくることにも、その堅くて狭い簡易ベッドの上で寝返りを打つことにも、慣れたというよりむしろ、諦めがついたようである。
記憶は相変わらず戻ってはいない。
その事を一番気にかけていたのはフィムナであった。記憶のことよりも、むしろ上官の体調の変異が、ひどく不吉な予兆のように彼女には思えるのであった。ランが度々頭痛を訴えるようになったのも、また時々、電池が切れたかのようにぼうっとすることがあるのも、彼女が記憶を失ったことと関係するのかどうかはフィムナには分からない。が、すべてはこの星に降り立ってからの変化である。
「いや、違うぞ――!」
重要なことに、フィムナは気付いた。
確かこの星に来る少し前、ランが頭痛がすると言っていたことを思い出したのだ。その時はさほど気に留めなかったのだが、考えてみれば彼女はこれまで一度も頭痛などと言ったことはなかった。
――何故だ――
疑念の種が、フィムナの心に撒かれた。
しかし、ここはランの居る野営地からは2000キロ以上離れた荒野のただ中、戦艦アルタミラ捜索の旅路である。
目の前には実に荒涼とした風景が広がっている。地平線まで続く焦茶色のごつごつとした砂礫の大地に、ところどころ、地面からしみ出た水分が凍りつき、夕暮れの太陽を反射して弱々しく光っていた。
生まれてから一度も足を土につけたことのないフィムナにとっては、それは異次元めいた光景に見えた。このよそよそしい景色のどこかに、懐かしい艦が眠っているなど想像し難かった。あるいは、すべては悪夢で、自分はいまだその夢から醒めていないだけなのではないだろうか…。
「何、ぼやっとしてるんだい、行くよ」
背中から声をかける者があった。彼女の立つ小高い斜面のふもとから、捜索部隊の隊長、ヴェルティンカが見上げている。
アゾニアと同じく、地上の戦場を渡り歩いてきた女戦士。鋭い眼光には好意も、これといった敵意もなく、この星と同じに乾いていた。
フィムナは黙って彼女の後を追って、斜面を降りた。
そもそも彼女にとっては、この星の上のものすべてが、この星で出会った同胞を含め、相容れないのだ。かなう限り早く、無念の死を遂げた仲間たちに代わって、上官をこの星から連れ出してやりたかった。
一方のアゾニアの本隊は、草木一本ない乾燥しきった山岳地帯を、転々と根城を変えながら移動する生活を続けていた。
上層機関とのつながりを全く絶たれた、この寄せ集めの兵士たちが、一年近くも士気を保ち続けてこられたのは、ひとえにアゾニアのカリスマと、彼らにとってはささやかながら、時折行われる戦闘によってである。戦いとは、彼らゼントラーディ人の精神の活性化に不可欠なものであった。
そしてそれらにおいて、記録参謀ランの果たした役割は大きかった。
彼女は盗聴した通信や偵察で得た情報から、食料や武器の保管場所、各基地の戦力や編成、パトロールのローテーション等に至るまでをかなり正確につかんでいた。彼らが統合軍の必死の捜索の網をくぐりぬけて、移動を続けることができたのもそのおかげである。
断片的な情報を元に物事の全体像を構築する。それこそが記録参謀の真骨頂であった。
あの謎の「民間人」とやらについても、その意義は分からなくとも、地球人は民間人をまず避難させ、保護しようとする。という事実は見抜いており、それは彼らの弱点としてインプットされていた。
しかし、あのあまりに得体の知れない「民間人」にかかわることは、やはり避けた方がいいのではないか、そうゼントラーディ人たちに思わせる出来事が起こることとなる。
それ自体は当初、ごくささやかな事件に思われた。
その日、街の倉庫街を襲撃に出た部隊が戻り、点呼を済ませた後のことである。一人の女兵士がランの元へと近づいて、なにやらスティック状の物を差し出した。
「参謀、ちょっとこれ見てくださいよ」
その手にあったものは、ランも見たこともない物だった。おそらくは樹脂製と思しき透明の筒の中に、さらに赤、青、白の斜めの縞模様が施された筒が入っている。
「建物の壁にくっついてた時は、これがくるくる回って面白かったんだけどなぁ」
少し残念そうに言いながら、兵士がそれを渡そうとしたその時、大地を揺るがすかと思うほどの怒号が二人の上に襲いかかった。
「こらああああっ」
声よりも早く走り来たアゾニアは勢いもそのままに、兵士の手を払った。
弾き飛ばされた戦利品は乾いた地面に叩きつけられ、あわれにも真ん中から砕けてしまった。
「うかつに敵の物を持って帰る奴があるか!!危険な物だったらどうするんだ!!」
女ボスの剣幕に、兵士は縮み上がって許しを請うた。彼女は元々アゾニアの部下ではなく、そういった戦場の危険には疎かった。
「こういう目立つものはなぁ…アッ、ラン!」
アゾニアが目をむいたのは、相棒がその物体の残骸を無造作に拾い上げたからである。
湯気を出す女ボスの側で、少女はそれをあちこちから眺めたり、ひっくりかえしたりしていたが、やがて得意そうな笑顔になった。
「危険なものじゃないみたいだよ…アゾニア。中に発光体が入ってるだけだし、信号灯の一種じゃないかな」
「お前ねぇ、そういう問題じゃないの。兵士の心構えの問題なんだ・よっ」
アゾニアの手が再び動き、今度はランの手を下から小突いた。物体はその手から跳ねて再び地面に落ち、さらにいくつかに割れてしまった。
「あーあ…」
「あーあじゃないっ!ったく、お前だって兵に示しをつけなきゃならん立場なんだ、それを忘れるなっ」
謎の物体を睨み付け、その最期を確認したアゾニアは鼻息も荒く、周りの兵士達をぐるりと見回すと、大声で威嚇した。
「いいか、今後マイクロンの街から何か持って帰ってきやがったら、ブッ飛ばすからな!!」
「ま…そうカリカリするな」
指揮用天幕の中、椅子にどっかりと腰かけ、いらいらと指先で机を叩く不機嫌の塊に、ソルダムはなだめるともなく声をかけた。
その机の上には見慣れぬ品々が無造作に積まれている。
あの後、あれほど厳命したにもかかわらず、マイクロンのものを隠し持っていた者が他にもいたことが露見し、女指揮官は怒りを爆発させた。
アゾニアは部下を殴ったりすることは滅多になく、体罰といってもせいぜい耳や頬を引っ張る程度であったが、それでも不心得者に対する懲罰効果は絶大であった。が、部下を怒れば怒るほど、それに反比例して彼女のストレスは増大しているようである。
「…確かに、奴らの街にゃ珍しいモンが多すぎる…兵どもが気をとられるのも無理はねえ…」
ソルダムの言葉は、薄水色の一瞥で報われた。
「あたし達は烏合の衆なんだ。規律が緩めば崩壊する」
「…かといって、モノを手に入れるには奴らの施設を襲うしかないんだ。近づかない訳にはいかねえぞ」
「……」
「そぉだよ。食いもんはどうすんだよ。もう自前の分は底を尽きちまうよ」
その向かい側で、右手は頬杖をつき、左手で机の上に並べられた没収品を弄んでいたドルシラが、二人の会話に割って入ってきた。
「うるさいな。お前はあの白い粉でも食ってろ」
アゾニアが鬱陶し気な視線を向ける横で、あまりに無用心なドルシラの様子に、ソルダムは苦言を呈した。
「お前、あまりべたべた触るなよ」
その忠告をわざと無視し、ドルシラはその奇妙な品々の中から一つをつまみあげた。それは精巧にできたマイクロンの女の等身大模型で、彼らには理解不能な、明るいピンクや白を使った衣服を身に着けていた。
「何に使うんだぁ?こんなもの…」
ドルシラはそれを隣にいたランに見せた。その途端、彼女の顔に弱電流が走ったかのように強張ったのを見て、一瞬、あっけにとられたドルシラだが、赤い瞳に明らかに怯えが隠されているのを見て取ると、獲物を前にした猫のような顔になった。
「へぇー、こんなのがコワイのかよ?」
意地の悪い笑みを満面に浮かべ、その模型をわざとランの鼻先に突き出す。
ランは身をそらしてそれから遠ざかろうとしたが、椅子の上では限界があった。ドルシラはさらにかさにかかって追いつめた。
「ホレ!」
「やめてよ!」
「下らねえ真似はよせ!」
ランの悲鳴と、ソルダムの罵声がほぼ同時に響いた。
ドルシラは面白くもなさそうに、手の中のものを机の上に放り出すと、もうその物体にも記録参謀にも興味を失った様子で、再び頬杖をついて大あくびをした。
そんな一連のやりとりをアゾニアは一顧だにせず、腕を組み、天幕の隙間から入り込んできた光に浮かび上がって漂う、埃の群を睨んだままであった。
アゾニアの思考は袋小路に迷い込み、行き場を失って体内をめぐると、やがて乾いた唇の隙間から、懸念の言葉となって吐き出された。
「もし…あたしたちが奴らのものを珍しがって持ち帰ったと知れたらどうする…?奴ら、今度は本当にトラップを仕掛けてくるかも知れないんだぞ」
「……」
しかし、彼らは知る由もなかったが、アゾニアの危惧は全くの杞憂であった。なぜなら、それは地球人にとってはすでに周知の事実であり、敢えてトラップなど仕掛けなくとも、その効果を知っていたからである。
* * *
マクロス・シティ、統合軍メインベースのPXは、街の大型スーパー並の品揃えはある。
夕方、ある用事のために買い物を済ませたアランは、帰宅しようとしているドールと行き会った。
彼女は珍しく、アランの姿を認めると向こうから声をかけてきた。どうやら彼が買ったものに興味があったようだ。
「それは…花ですね」
「そうですよ。これから墓参りなんでね」
「ハカマイリ?」
「ああ、そうか…」
アランは少し考え、一緒に来てみないかとドールを誘った。市内バスで15分。街のはずれにあるメモリアルパークである。
広々とした芝生に覆われた公園は、市民の憩いの場となっていた。そこここに、帰り支度をはじめた子供たちや、ベンチを占領するカップルの姿が点在し、ごくありふれた夕刻の風景を形作っている。
砂利を敷き詰めた遊歩道の一番奥に、高さ10メートルほどの白い石でできた、どの宗教も感じさせないデザインの祈念碑があった。宇宙大戦で命を失った全ての人々のためのものだ。
碑の足元の献花台には、隙間もないほどに花束や菓子などが供えられていた。中には家族がどこかのシェルターで生き延びている可能性を信じてだろうか、写真を添えた尋ね人のメッセージも少なくない。
その中に自分の持ってきた花束をそっと加えると、アランは静かに祈りを奉げた。
ドールはアランのすることを黙って見ていた。厳粛な雰囲気を感じとってはいたが、彼が何をしているのかは分からなかったのだ。
アランはやがて立ち上がると、背後のドールに向かって語りかけた。
「ここには、俺の妻も眠っているんだ」
「え…」
振り返ったアランは、ドールが困惑したような表情で、碑の周りに懸命に視線をめぐらせているのを見た。どこに人が横になるスペースがあるのかと探しているらしい。
彼は思わず吹き出しそうになりながら、墓の意味や、地球人の死者に対する考え方などを、ドールにも分かりやすい言葉で丁寧に説明した。
「妻が死んだのは大戦の前さ。本当は故郷に墓があったんだけど、そこも消し飛んでしまったからね。ここを新しい墓だと思って、こうしてお参りしてるのさ」
ドールはアランの説明に完全には納得していない様子だった。
「地球人は死者と話ができるのですか?死者には目も耳もありません。人は死ねば終わりです」
アランは寂しげな苦笑いを浮かべた。ゼントラーディ人らしい考え方だと思ったのかも知れない。
「そうかも知れない…けど、君は今まで一度も、仲間が死んで悔しいとか、悲しいとか思ったことはないのかい?その人の死を納得できなかったことはないのかい?誰が死んでも、あっさり次の日には忘れてきたのかい?」
アランの問いかけはあくまで静かであった。
「……」
「妻は5年も前に死んでしまったけど、俺は彼女を今も愛している。愛しているから、忘れられないし、忘れたくない。大事な人がいなくなったつらさに耐えられなくならないように、徐々にその人の死を納得できるように、ここにその人が眠っているというしるしを作るんだよ…本当はお墓というものは死者のためではなく、生きている人のためのものなんだ」
「生きている人の…」
ドールはかみ締めるように、小さな声でつぶやいた。
「君たちがこの星に来る前、地球人同士で多くの争いがあった。妻はそこで死んだんだ。正直、俺は彼女の死をまだ納得できていない…なんで彼女は死ななければならなかったのか…」
「その方は、戦死されたのですか?」
「違うよ。彼女は民間人さ。戦いには関係ない」
「それは変です」
あまりにドールが明確に否定したので、アランは面くらい、続く言葉を失って真っ直ぐに目の前のゼントラーディ人の顔を見上げた。
「地球人の社会は、軍人と民間人が協力しあって成り立っているのでしょう?どんな職業も、社会には欠かすことのできないものだと習いました。民間人が軍人を支えているのだとしたら、一方の陣営が、敵のどんな構成員であれ、攻撃するのは当然のことです。戦いに関係ないなんて、ありえません」
アランの受けたショックはつまるところ、ゼントラーディ人たちが戦いのない世界に触れた時の衝撃と同質のものなのだろう。
「違うよ…それは違うんだ…」
アランは首を振った。ドールの間違いを正したかったが、うまい言葉を持たない自分がもどかしかった。
「そもそも、人間には人間の命を奪う権利なんてないんだ…それでも戦争が起こったときに、民間人を、弱い人々を守るために戦う役割なのが俺達軍人なんだ。守るべき者がいるからこそ、死だって賭せる…君たちのように軍隊だけが残ってしまった社会なんて、本末転倒なんだよ」
「ごめんなさい…よく分かりません…」
ドールはひどく悲しげであった。
「でも、地球人の死者を想う心は、分かる気がします…」
ドールは一歩前に足を踏み出すと、白亜のモニュメントと、足元に並ぶ尋ね人のメッセージを見比べた。
そしてしばしの思考の後、アランに向きなおり、真摯な表情と共に言った。
「その、お祈りというのを教えていただけますか」
「あ、ああ…やり方は自由だよ。俺の場合はこうだけど…要は心の中で、語りかければいいんだ」
アランはカソリック式に手を合わせてみせた。その動作をドールは真似ながら、ゆっくりと目を閉じた。彼女が誰に祈りを捧げているのかは知れなかったが、その姿を見て、アランは彼女をここに連れてきたことは、間違いではなかったと確信したのであった。
「エキセドル参謀、その後どうでしょう?何か情報は…」
「そ、そういうお話はフェイ少将に言っていただきませんと…」
顔のあたりまで積み上げられた書類の束を抱えながら、エキセドルは困惑の表情を浮かべた。
このところ、作戦部の将校たちからこの手の話をひんぱんに持ちかけられるのだが、彼はあくまでオブザーバーなのだ。一応、組織の道筋は守ってもらいたいものである。
しかし一方で、彼らの気持ちも分からなくはない。と、エキセドルも思ってはいるのだが。
「先月も民間車両が2台やられました。いずれも食品関係です」
「運送会社には該当地区での運行は行わないよう、言ってあるのでしょう?」
「はい、ですが、あのあたりを避けるとなると大変な大回りになるので、無謀なことをする業者もいるんですよ。畜生、奴ら、味をしめやがって…」
将校は苦々しげに語った。
確かにゼントラーディ人にとっては軍も民間も関係ない。むしろ、丸腰のローストチキンがのこのこ歩いていると思われるのがおちである。
いずれにせよ、彼らは積載物が何であるかを正確に判別できているということになる。それに比して、統合軍側の情報収集に関しては、やっとその手がかりができたという程度なのだ。
「確かに、地球の食べ物は刺激的なまでにうまいですからなぁ」
「いや、そんな話じゃ…」
「エキセドル参謀!」
その時、廊下の向こうから、息せき切ってフェイが駆け寄ってきた。
「おお、フェイ少将、どうしました」
エキセドルはにこにこと笑った。肉の落ちた頬や、ぎょろりとした目が気難しそうな印象を与える彼であるが、人当たりも愛想もいい。
しかしこの時のフェイが携えている話題が、吉報でないことは一目瞭然であった。エキセドルは目で将校に退去をうながすと、心持ち首をかしげ、次の言葉を待った。
「それが…例の連絡員の事なのですが…」
「おお、レギン・バルクスですな。彼がどうかしましたか?」
フェイは心なしかすぐれない顔色で、周囲をさりげなく確認すると、腰をかがめて耳元で二言三言ささやいた。
その途端、エキセドルの眼光が、人間のものから無機質なコンピュータの光へと戻った。それは一種異様な眺めで、長年情報畑を歩き、様々な人間の様々な表情を見てきたフェイにとっても、未知の部類に属するものであった。
それは半瞬のことであったが、彼の思考には十分な時間であった。
「…どうも…連中の中には相当悪賢い者がいるようですな…」
静かに、だが確信に満ちた口調でそう言うと、彼は首をかしげたまま、上目遣いにフェイを見た。
「…私と同じぐらいにはね」
この記事へのコメント
いつも楽しみにしています
いつも楽しみに読ませていただいています。
私も触発されて小説を書き始めました。
マクロスっぽい設定だったのですが、練っているうちにオリジナルになりました。
よろしければ読んでみてください。
私も触発されて小説を書き始めました。
マクロスっぽい設定だったのですが、練っているうちにオリジナルになりました。
よろしければ読んでみてください。
ご訪問ありがとうございます。
ゆっくりペースですが、これからもぜひよろしくお願いします。
ゆっくりペースですが、これからもぜひよろしくお願いします。
2007/09/01(土) 11:33:30 | URL | 作者。 #-[ 編集]
エキセドルは何を
ゼントラ兵が持ってきたのは床屋のアレですね。トラップって…。やっぱりゼントラの文化接触は生真面目なのがコミカルです。でも戦闘を生き甲斐とする彼らには、それはトラップより強力な武器。内部から無力化させるものですよね…。
大戦で遺体さえ残さず亡くなった人は、数知れず。こういうメモリアル・パークのような場所はあるでしょうね。生きている人々の偶像ですね。
大戦で遺体さえ残さず亡くなった人は、数知れず。こういうメモリアル・パークのような場所はあるでしょうね。生きている人々の偶像ですね。
●にゃおさん
そうです。床屋のぐるぐるです^ ^;
地球人の町にはそりゃもー、不思議なモノがいっぱいです。
当人が大マジメであるほど、コミカルになる...と、乱太郎の作者、尼子先生が申しておられました。
本当は地球人のほとんどが死んでしまったのですから、これ以上陰惨な話はないハズなんですよね...マクロスって...
でも本編にはそんな感じが微塵もなかったので、まぁせめて祈念碑ぐらいはと。
そうです。床屋のぐるぐるです^ ^;
地球人の町にはそりゃもー、不思議なモノがいっぱいです。
当人が大マジメであるほど、コミカルになる...と、乱太郎の作者、尼子先生が申しておられました。
本当は地球人のほとんどが死んでしまったのですから、これ以上陰惨な話はないハズなんですよね...マクロスって...
でも本編にはそんな感じが微塵もなかったので、まぁせめて祈念碑ぐらいはと。
2011/07/23(土) 04:06:54 | URL | 作者。 #-[ 編集]
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