どのぐらい経ったのだろうか。意識を取り戻したランは、辺りにうっすらとであるが光があるのを知って安堵した。静かであったが、遠くで人の動く気配があり、ここが現実の世界だと知ることができた。
自分が仮眠室に寝かされているのはすぐに分かった。仮眠室とは、司令室のすぐ裏手にある小部屋で、作戦の合間の短い休息をとったり、当直の際に休むスペースである。扉がわずかに開いていて、そこから漏れ出した光が、座る人物の影を映していた。
影はフィムナのものであった。ずっと側に付き添っていたのか、小さな椅子に腰掛けたまま、うつらうつらと眠っている。
あれは夢だったのだろうか…
ランは先ほどの出来事を反芻してみた。夢にしては妙にはっきりしすぎている。
上官が起き出した気配にフィムナはすぐに気付き、その顔を見てほっとした表情を浮かべた。ランは心から彼女に感謝していた。体調を崩した時、最も親身になってくれるのは彼女をおいて他にない。
思えば、ここまでフィムナの人となりに直接触れることは今までなかった。彼女は優秀な将校で、性格は強いていえばマイペース気味というぐらいで、それ以外の面を見ることはこれまでなかったし、こんな事態にならなければ、これからも永久になかったであろう。
「心配しました…急に倒れられるから…どうですか。まだ気分お悪いですか?」
ランは首を振ると、体を起こした。それをあわてて押しとどめるようにして、フィムナは尋ねた。
「あ、あの…お部屋にお連れしましょうか?ご自分の部屋のほうが、よくお休みになれると思いますが」
「いい、もう起きる」
病人扱いされるのは嫌だった。それに…
「それに…部屋で寝ちゃったら…目が覚めたときにつらいと思う…」
「……」
いつもの部屋で寝て起きれば、いつもの光景が出迎えてくれるような錯覚を、きっと起こしてしまうだろう。
ランは毛布を押しのけると、そのまま部屋を出ていった。
アゾニアはランの事が気がかりではあったものの、指揮官としての任務を優先させねばならない立場である。修理を担当することになった数名の士官たちと、詰めの打ち合わせに忙しかった。
「これだけ馬鹿デカイ艦だと、外装のチェックだけでも大変だな」
アゾニアは手元のボードのチェックリストに目を走らせながらつぶやいた。
焦りは禁物。この計画が敵に知れればすべてが水泡に帰す。どんなに時間がかかっても、目立つ動きは避け、確実に作業を進めていかなければならない。
そのために、この日まで地道に準備を重ねてきたのだ。
彼女自身は戦艦の事についてはほとんど素人であるが、元・戦艦の航法士官だったアグルが、ランやフィムナの意見を参考にして入念に修理計画を練り上げていた。
アグルはがっしりとした体格と短く刈り上げた緑っぽい髪の持ち主で、口数は少ないが信頼できる男だった。彼をはじめ、艦艇の運用や整備に携わっていた者たち、そしてマイクロンの街で技術を身につけた者数名が加わってチームを作っていた。
彼らはこの星での暮らしに不安を覚え、街を飛び出して放浪していたのを拾われた者たちである。
アゾニアはあのスパイ事件以来、街にいた同胞には非常に猜疑心を抱いていたが、技術を持った者は喉から手が出るほど欲しかった。
それに彼らは貴重な情報源でもある。彼らはマイクロン――地球人について詳しく語ると同時に、口々に「誰からも命令されない」不安を述べたのだった。
「あの世界は面白い。けど、何をしたらいいか分からないんだ。やる仕事はある。でもそれ以外のときに、どうしたらいいのか誰も言ってくれないんだよ…」
そうしてわけもなく徘徊した挙句、喧嘩沙汰を起こしてもう街には居られないと思い込み、逃げ出したという者が多かった。
ゼントラーディ人を戦いのくびきから解放し、自由を与えてやったと信じる善良な地球人が、この話を聞いたらどう思うであろうか。
一方でそんな彼らの話の内容は、戸惑った事、珍しい物の事で満ちあふれてはいたが、尋問や拘束、暴力を受けたという話は一切出てこなかった。そのことが、却ってアゾニアの不安をかき立ててしまったことは否めない。
アゾニアが彼らを一つのグループにまとめ置いたのは、そんな理由からでもあった。いずれにせよ、地球人たちに関する話が、兵士達の間に広まるのは好ましいこととは思えなかったからだ。その点、真面目で口の堅いアグルの元に置いておけば安心できる。
そこへ、ちょろちょろと動く背の低い人影が薄暗いブリッジの片隅に現れ、こちらへ向かって近づいてきた。
アゾニアはほっとすると同時に、どことない後ろめたさに包まれた。
「大丈夫なのか?」
「うん、もう平気」
ランは照れ笑いを見せると、アゾニアに寄り添った。
彼らが前にしている作戦卓は、人が十人並んで横になれるほどの大きさである。しかも、同じものがこのブリッジには四つあるのだ。しかし今はこれらは機能しておらず、ただの物置場として、過重労働に不平の声をあげる、野戦用の貧弱なコンピュータ類を乗せていた。
二列に並ぶこの作戦卓の間に、床が強化ガラス張りになっている部分があり、その下のオペレーションフロアが見える。
また、上を見ればこの広い部屋をぐるりとめぐる歩廊があり、その終点には強化ガラスで囲まれた半球状の小部屋があった。指揮官と、そして記録参謀が立つ司令室だ。
何もかも、全てがアゾニアのような地上の兵士には縁のない世界だった。
(それにしても…なんでこいつは艦の状態について知ってたんだ…)
アゾニアは傍らに立つランの横顔を見ながらふと思い出した。
ランはこの艦の不時着時に頭部を打ち、意識不明であった筈だ。にもかかわらず、確かにかつて彼女は言った。反応エンジンには問題ないと。詳細はまだ分からないが、フィムナの証言と、現時点での調査からしてもそれは真実らしい。
もしかしたら、とアゾニアはある可能性について考えた。意識を失っていたとはいえ、脳のどこかに覚醒していた部分があって、周りの状況をある程度理解できていたのではないだろうか。そして、潜在意識の奥底に、紛れ込んでいるだけではないのかと。
その時、床のガラスがコツコツと音を立ててアゾニアの思考を遮った。下のオペレーション・ルームからクリエラが合図している。
「通信機、使えそうだよ。電源をこっちにもまわして」
「受信だけだぞ」
アゾニアが作戦卓の上に並べた装置の一つを操作すると、クリエラは身をかがめ、一時的に視界から消えた。
「おっ、来た来た。そっちにも流すよ」
ガラスの下からうれしそうな声がすると同時に、スピーカーからザラザラとした音が流れ出し、次第に形をなしてあの"歌"となった。
「…こんな最果てまで…電波を飛ばしてるのか…」
アゾニアは驚き半ばにつぶやいた。
ランは黙って耳を傾けている。
歌は間もなく終わり、続いて落ち着いた男の声が聞こえてきた。
――1時になりました。ニュースをお伝えします。本日標準時刻午前3時ごろ、ハイランダー・シティにおいて――
「なんで、奴らは情報をタレ流しにするんだ…」
それまで黙っていたアグルがボードに目を落としたまま、太い声でぽつりと言った。
「さあね。シュミなんだろ。そういう…ま、おかげで色々役に立つけどな」
ニセ情報だろう。最初は当然、アゾニアもそう思った。が、慎重に彼らを観察するうちに、これらの情報は真実らしいということが分かってきたのだ。一同は大いにあきれたが、それが彼らの習慣なのだと納得するより他なかった。直接作戦行動に係わるような情報こそなかったが、それでもアゾニア達にとって、重要な情報源の一つであることは間違いない。
スピーカーからの声は、淡々と"ニュース"を読み上げている。
――先日、修復工事が始まったばかりのブリタイ艦ですが、この工事が完成すれば、地球の防衛体制は飛躍的に改善するとの期待がかけられており、本日はグローバル総司令を招いての――
ランはちらりと上官を見上げた。
アルタミラと同型らしい、この艦の修復が済んで宇宙に戻れば、自分達の地球脱出の大きな障壁になりうるかも知れない。
が、アゾニアはこのニュースには何のコメントも発さず、黙って何かを思案しているように見えた。
一方、艦の外でも、諸々の作業が静かに進行していた。
巨艦アルタミラを挟む谷の一方の斜面に、艦首から艦尾までの距離にわたって、両腕を広げたほどの間隔で小さな装置が埋め込まれていた。
数班に分かれた兵士たちが急峻な斜面に取り付きながら、慎重に装置を設置していく。
谷の頂では、二人の男がその作業を見ていた。ケティオルは小型の端末ボードを操作しながら部下に指示を下し、ソルダムは腕を組み、谷の底に横たわる巨体を眺めている。
「見たことないだろ。これ」
ケティオルはどこか嬉し気であった。インカムからの報告に耳を傾け、準備の完了を確認すると、少々もったいぶりながらマイクに向かって軽く息を吸い込んだ。
「よし、発射用意」
冷たい風に乗って、部下たちの復唱がかすかに谷を上ってくる。
「発射」
軽い発射音と共に、一直線に並んだ装置から一斉にアンカーが打ち出され、対岸に突き刺さると、谷には再び静寂が訪れた。
一見、以前と全く変わらない景色のように見えるが、谷底から風が吹き上げるたび、きらりと光るものが見え、そこに何かがあるのが分かる。蜘蛛の糸ほどに細い特殊繊維の網が、艦の頭上を覆っているのだ。
「あれが熱や電磁波を吸収するんだ」
この艦の存在が知られている以上、この場所での人的活動を察知されることは、絶対に避けねばならなかった。
すでに艦の周囲を取り囲むように、6器のパッシヴ・レーダーが設置されている。それらの機材を、敵の目からうまく隠蔽するのもケティオルの得意とするところであった。
ケティオルの解説を聞いているのかいないのか、ソルダムは腕組みをしたまま、難しい表情で虚空を睨んでいた。
「しかし、この艦の乗組員はどこに行ったんだ…」
「え?」
「前にもこんな艦をいくつか見ただろう。生きてる奴も、死んでる奴も一人もいない…」
ケティオルは機材を片付ける手を止め、兄貴分の意図を測りかねたように肩をすくめた。
「艦を離れてどっか行ったんだろ。で、野垂れ死にだ」
「フィムナの話じゃ、相当な死人が出たらしい。艦内は惨憺たる有様だったはずだ。なのに今は艦の中に一つの死体も転がってないってのは、どういう事だ…」
「……」
「知りたいかい?」
後ろから割り込んだ声に二人は振り返った。オレンジ色の髪をした女がいる。小柄だが、燃えるような緑の瞳を真っ直ぐに投げつけ、いかにも鼻っ柱が強そうだ。左手にいくつかの鉄くずのようなものを携えている。
「ヴェル…」
「ついてきなよ」
ヴェルティンカは二人の間を通り抜けると、崖といってもいいほどの急斜面を一気に駆け下りていく。
「おい、無茶するなよ」
ケティオルが叫んだのは、設置したシールド発生装置を心配してである。蹴飛ばされでもしたらたまらない。
が、ソルダムがそれに続き、谷を駆け下りて行ったのを見て、口の中で何か文句を言いつつ、彼らの後を追いかけていった。
ヴェルティンカは足場の悪い艦の脇を走り抜け、艦尾後方のひらけた場所まで来ると、地面の一点を指した。そこは艦の側方とは逆に、雨が押し流したと思しき土砂が平らな地面を作っている。よく見ないと分からなかったが、一部、微妙に色が違う一帯があった。
「掘ってみなよ」
「いや…」
ソルダムにはそこに何が埋まっているかはすぐ分かった。彼の冷静な目は、その範囲が思いのほか広いのと、土に混じってうっすらと白っぽい色のものが浮き出しているのを見てとっていた。
ヴェルティンカは付け加えた。
「全部確認した訳じゃないけど、数百人…千人単位で埋まってそうだよ。同じ方向に並べられて、しかも、焼かれてる」
ソルダムの眉に険しさが宿った。膝をつき、手袋をはずして一つまみの土をすくい取ると、その白いものの正体を確かめるように指でなぞり、匂いをかいだ。
「消毒薬…?まさかな…宇宙艦隊の奴らはそんな事はしない…」
宇宙では、死んだ者はそのまま棄てられる。地上でも通常は同様で、まれに伝染病の危険がある時なども、死体を山積みにして焼いてしまうのが普通だった。
「こんなのも拾ったよ。この上でね」
ヴェルティンカは持っていた金属の破片を、突き出すようにソルダムに渡した。
敵のメカの破片。それは明らかに、この場所で戦闘が行われたことを示すものだ。
皮肉めいた笑みを片頬に漂わせ、ヴェルティンカは両手を腰に当てた。
「宇宙艦隊の奴らに、どれほどのことができたかね。きっとみんなやられちまったのさ」
「だったとして、なんでこんな風に埋めたりする…?」
ソルダムは破片を放り出し、指についた土を払いながら、足元の土を軽く蹴った。
「わざわざ艦内を片付けてやる義理が、敵にあるとは思えんがな」
改めて、この艦の乗員たちが眠っていると思われる黒い地面を見渡し、ソルダムは思考した。が、たとえ味方に対してでも、埋葬や死者の尊厳という概念のないゼントラーディ人には、目の前の事実は理解し難かった。
「気に入らねぇ…妙に扱いが丁寧だ。街にいた連中も言っていた。捕虜としての扱いを受けたことは一度もなかったと…」
ケティオルは黙って鼻の脇をかいた。ソルダムの言葉がいまいち理解できていないらしい。難しい話はごめんだと言わんばかりである。
「マイクロンたちは、そうやってあたしたちの仲間を懐柔して、労働力として使おうってのさ。途中でもいくつか街を見たけど、どの街にも仲間がいた…少なくとも、奴らは監察軍より利口だよ」
ヴェルティンカは軽くため息をつくと、例の皮肉な笑みを浮かべ、挑戦的な視線をソルダムに向けた。
「もしかして…もうこの星にいる仲間はみんな…」
「ここはもういい。ケティ、ヴェル、作業に戻れ。それと…ここのことは言うな」
話を打ち切ると、ソルダムはフッと息を吐き、ヴェルティンカに負けない好戦的な笑顔を、二人の盟友に投げかけた。
「俺達は違う…俺達はそんなヤワな連中とは違うさ…そうだろうが」
五日ほどの滞在の後、アゾニアの本隊はわずかの整備要員と警戒部隊を残して再びこの地を離れ、放浪の旅に出た。
ランは来たときと同じように、指揮車の小さな窓から凍った谷の方角をいつまでも見続けていた。が、彼女なりに何か区切りをつけたのか、それ以来、ドールの名を口にすることは滅多になくなった。
自分が仮眠室に寝かされているのはすぐに分かった。仮眠室とは、司令室のすぐ裏手にある小部屋で、作戦の合間の短い休息をとったり、当直の際に休むスペースである。扉がわずかに開いていて、そこから漏れ出した光が、座る人物の影を映していた。
影はフィムナのものであった。ずっと側に付き添っていたのか、小さな椅子に腰掛けたまま、うつらうつらと眠っている。
あれは夢だったのだろうか…
ランは先ほどの出来事を反芻してみた。夢にしては妙にはっきりしすぎている。
上官が起き出した気配にフィムナはすぐに気付き、その顔を見てほっとした表情を浮かべた。ランは心から彼女に感謝していた。体調を崩した時、最も親身になってくれるのは彼女をおいて他にない。
思えば、ここまでフィムナの人となりに直接触れることは今までなかった。彼女は優秀な将校で、性格は強いていえばマイペース気味というぐらいで、それ以外の面を見ることはこれまでなかったし、こんな事態にならなければ、これからも永久になかったであろう。
「心配しました…急に倒れられるから…どうですか。まだ気分お悪いですか?」
ランは首を振ると、体を起こした。それをあわてて押しとどめるようにして、フィムナは尋ねた。
「あ、あの…お部屋にお連れしましょうか?ご自分の部屋のほうが、よくお休みになれると思いますが」
「いい、もう起きる」
病人扱いされるのは嫌だった。それに…
「それに…部屋で寝ちゃったら…目が覚めたときにつらいと思う…」
「……」
いつもの部屋で寝て起きれば、いつもの光景が出迎えてくれるような錯覚を、きっと起こしてしまうだろう。
ランは毛布を押しのけると、そのまま部屋を出ていった。
アゾニアはランの事が気がかりではあったものの、指揮官としての任務を優先させねばならない立場である。修理を担当することになった数名の士官たちと、詰めの打ち合わせに忙しかった。
「これだけ馬鹿デカイ艦だと、外装のチェックだけでも大変だな」
アゾニアは手元のボードのチェックリストに目を走らせながらつぶやいた。
焦りは禁物。この計画が敵に知れればすべてが水泡に帰す。どんなに時間がかかっても、目立つ動きは避け、確実に作業を進めていかなければならない。
そのために、この日まで地道に準備を重ねてきたのだ。
彼女自身は戦艦の事についてはほとんど素人であるが、元・戦艦の航法士官だったアグルが、ランやフィムナの意見を参考にして入念に修理計画を練り上げていた。
アグルはがっしりとした体格と短く刈り上げた緑っぽい髪の持ち主で、口数は少ないが信頼できる男だった。彼をはじめ、艦艇の運用や整備に携わっていた者たち、そしてマイクロンの街で技術を身につけた者数名が加わってチームを作っていた。
彼らはこの星での暮らしに不安を覚え、街を飛び出して放浪していたのを拾われた者たちである。
アゾニアはあのスパイ事件以来、街にいた同胞には非常に猜疑心を抱いていたが、技術を持った者は喉から手が出るほど欲しかった。
それに彼らは貴重な情報源でもある。彼らはマイクロン――地球人について詳しく語ると同時に、口々に「誰からも命令されない」不安を述べたのだった。
「あの世界は面白い。けど、何をしたらいいか分からないんだ。やる仕事はある。でもそれ以外のときに、どうしたらいいのか誰も言ってくれないんだよ…」
そうしてわけもなく徘徊した挙句、喧嘩沙汰を起こしてもう街には居られないと思い込み、逃げ出したという者が多かった。
ゼントラーディ人を戦いのくびきから解放し、自由を与えてやったと信じる善良な地球人が、この話を聞いたらどう思うであろうか。
一方でそんな彼らの話の内容は、戸惑った事、珍しい物の事で満ちあふれてはいたが、尋問や拘束、暴力を受けたという話は一切出てこなかった。そのことが、却ってアゾニアの不安をかき立ててしまったことは否めない。
アゾニアが彼らを一つのグループにまとめ置いたのは、そんな理由からでもあった。いずれにせよ、地球人たちに関する話が、兵士達の間に広まるのは好ましいこととは思えなかったからだ。その点、真面目で口の堅いアグルの元に置いておけば安心できる。
そこへ、ちょろちょろと動く背の低い人影が薄暗いブリッジの片隅に現れ、こちらへ向かって近づいてきた。
アゾニアはほっとすると同時に、どことない後ろめたさに包まれた。
「大丈夫なのか?」
「うん、もう平気」
ランは照れ笑いを見せると、アゾニアに寄り添った。
彼らが前にしている作戦卓は、人が十人並んで横になれるほどの大きさである。しかも、同じものがこのブリッジには四つあるのだ。しかし今はこれらは機能しておらず、ただの物置場として、過重労働に不平の声をあげる、野戦用の貧弱なコンピュータ類を乗せていた。
二列に並ぶこの作戦卓の間に、床が強化ガラス張りになっている部分があり、その下のオペレーションフロアが見える。
また、上を見ればこの広い部屋をぐるりとめぐる歩廊があり、その終点には強化ガラスで囲まれた半球状の小部屋があった。指揮官と、そして記録参謀が立つ司令室だ。
何もかも、全てがアゾニアのような地上の兵士には縁のない世界だった。
(それにしても…なんでこいつは艦の状態について知ってたんだ…)
アゾニアは傍らに立つランの横顔を見ながらふと思い出した。
ランはこの艦の不時着時に頭部を打ち、意識不明であった筈だ。にもかかわらず、確かにかつて彼女は言った。反応エンジンには問題ないと。詳細はまだ分からないが、フィムナの証言と、現時点での調査からしてもそれは真実らしい。
もしかしたら、とアゾニアはある可能性について考えた。意識を失っていたとはいえ、脳のどこかに覚醒していた部分があって、周りの状況をある程度理解できていたのではないだろうか。そして、潜在意識の奥底に、紛れ込んでいるだけではないのかと。
その時、床のガラスがコツコツと音を立ててアゾニアの思考を遮った。下のオペレーション・ルームからクリエラが合図している。
「通信機、使えそうだよ。電源をこっちにもまわして」
「受信だけだぞ」
アゾニアが作戦卓の上に並べた装置の一つを操作すると、クリエラは身をかがめ、一時的に視界から消えた。
「おっ、来た来た。そっちにも流すよ」
ガラスの下からうれしそうな声がすると同時に、スピーカーからザラザラとした音が流れ出し、次第に形をなしてあの"歌"となった。
「…こんな最果てまで…電波を飛ばしてるのか…」
アゾニアは驚き半ばにつぶやいた。
ランは黙って耳を傾けている。
歌は間もなく終わり、続いて落ち着いた男の声が聞こえてきた。
――1時になりました。ニュースをお伝えします。本日標準時刻午前3時ごろ、ハイランダー・シティにおいて――
「なんで、奴らは情報をタレ流しにするんだ…」
それまで黙っていたアグルがボードに目を落としたまま、太い声でぽつりと言った。
「さあね。シュミなんだろ。そういう…ま、おかげで色々役に立つけどな」
ニセ情報だろう。最初は当然、アゾニアもそう思った。が、慎重に彼らを観察するうちに、これらの情報は真実らしいということが分かってきたのだ。一同は大いにあきれたが、それが彼らの習慣なのだと納得するより他なかった。直接作戦行動に係わるような情報こそなかったが、それでもアゾニア達にとって、重要な情報源の一つであることは間違いない。
スピーカーからの声は、淡々と"ニュース"を読み上げている。
――先日、修復工事が始まったばかりのブリタイ艦ですが、この工事が完成すれば、地球の防衛体制は飛躍的に改善するとの期待がかけられており、本日はグローバル総司令を招いての――
ランはちらりと上官を見上げた。
アルタミラと同型らしい、この艦の修復が済んで宇宙に戻れば、自分達の地球脱出の大きな障壁になりうるかも知れない。
が、アゾニアはこのニュースには何のコメントも発さず、黙って何かを思案しているように見えた。
一方、艦の外でも、諸々の作業が静かに進行していた。
巨艦アルタミラを挟む谷の一方の斜面に、艦首から艦尾までの距離にわたって、両腕を広げたほどの間隔で小さな装置が埋め込まれていた。
数班に分かれた兵士たちが急峻な斜面に取り付きながら、慎重に装置を設置していく。
谷の頂では、二人の男がその作業を見ていた。ケティオルは小型の端末ボードを操作しながら部下に指示を下し、ソルダムは腕を組み、谷の底に横たわる巨体を眺めている。
「見たことないだろ。これ」
ケティオルはどこか嬉し気であった。インカムからの報告に耳を傾け、準備の完了を確認すると、少々もったいぶりながらマイクに向かって軽く息を吸い込んだ。
「よし、発射用意」
冷たい風に乗って、部下たちの復唱がかすかに谷を上ってくる。
「発射」
軽い発射音と共に、一直線に並んだ装置から一斉にアンカーが打ち出され、対岸に突き刺さると、谷には再び静寂が訪れた。
一見、以前と全く変わらない景色のように見えるが、谷底から風が吹き上げるたび、きらりと光るものが見え、そこに何かがあるのが分かる。蜘蛛の糸ほどに細い特殊繊維の網が、艦の頭上を覆っているのだ。
「あれが熱や電磁波を吸収するんだ」
この艦の存在が知られている以上、この場所での人的活動を察知されることは、絶対に避けねばならなかった。
すでに艦の周囲を取り囲むように、6器のパッシヴ・レーダーが設置されている。それらの機材を、敵の目からうまく隠蔽するのもケティオルの得意とするところであった。
ケティオルの解説を聞いているのかいないのか、ソルダムは腕組みをしたまま、難しい表情で虚空を睨んでいた。
「しかし、この艦の乗組員はどこに行ったんだ…」
「え?」
「前にもこんな艦をいくつか見ただろう。生きてる奴も、死んでる奴も一人もいない…」
ケティオルは機材を片付ける手を止め、兄貴分の意図を測りかねたように肩をすくめた。
「艦を離れてどっか行ったんだろ。で、野垂れ死にだ」
「フィムナの話じゃ、相当な死人が出たらしい。艦内は惨憺たる有様だったはずだ。なのに今は艦の中に一つの死体も転がってないってのは、どういう事だ…」
「……」
「知りたいかい?」
後ろから割り込んだ声に二人は振り返った。オレンジ色の髪をした女がいる。小柄だが、燃えるような緑の瞳を真っ直ぐに投げつけ、いかにも鼻っ柱が強そうだ。左手にいくつかの鉄くずのようなものを携えている。
「ヴェル…」
「ついてきなよ」
ヴェルティンカは二人の間を通り抜けると、崖といってもいいほどの急斜面を一気に駆け下りていく。
「おい、無茶するなよ」
ケティオルが叫んだのは、設置したシールド発生装置を心配してである。蹴飛ばされでもしたらたまらない。
が、ソルダムがそれに続き、谷を駆け下りて行ったのを見て、口の中で何か文句を言いつつ、彼らの後を追いかけていった。
ヴェルティンカは足場の悪い艦の脇を走り抜け、艦尾後方のひらけた場所まで来ると、地面の一点を指した。そこは艦の側方とは逆に、雨が押し流したと思しき土砂が平らな地面を作っている。よく見ないと分からなかったが、一部、微妙に色が違う一帯があった。
「掘ってみなよ」
「いや…」
ソルダムにはそこに何が埋まっているかはすぐ分かった。彼の冷静な目は、その範囲が思いのほか広いのと、土に混じってうっすらと白っぽい色のものが浮き出しているのを見てとっていた。
ヴェルティンカは付け加えた。
「全部確認した訳じゃないけど、数百人…千人単位で埋まってそうだよ。同じ方向に並べられて、しかも、焼かれてる」
ソルダムの眉に険しさが宿った。膝をつき、手袋をはずして一つまみの土をすくい取ると、その白いものの正体を確かめるように指でなぞり、匂いをかいだ。
「消毒薬…?まさかな…宇宙艦隊の奴らはそんな事はしない…」
宇宙では、死んだ者はそのまま棄てられる。地上でも通常は同様で、まれに伝染病の危険がある時なども、死体を山積みにして焼いてしまうのが普通だった。
「こんなのも拾ったよ。この上でね」
ヴェルティンカは持っていた金属の破片を、突き出すようにソルダムに渡した。
敵のメカの破片。それは明らかに、この場所で戦闘が行われたことを示すものだ。
皮肉めいた笑みを片頬に漂わせ、ヴェルティンカは両手を腰に当てた。
「宇宙艦隊の奴らに、どれほどのことができたかね。きっとみんなやられちまったのさ」
「だったとして、なんでこんな風に埋めたりする…?」
ソルダムは破片を放り出し、指についた土を払いながら、足元の土を軽く蹴った。
「わざわざ艦内を片付けてやる義理が、敵にあるとは思えんがな」
改めて、この艦の乗員たちが眠っていると思われる黒い地面を見渡し、ソルダムは思考した。が、たとえ味方に対してでも、埋葬や死者の尊厳という概念のないゼントラーディ人には、目の前の事実は理解し難かった。
「気に入らねぇ…妙に扱いが丁寧だ。街にいた連中も言っていた。捕虜としての扱いを受けたことは一度もなかったと…」
ケティオルは黙って鼻の脇をかいた。ソルダムの言葉がいまいち理解できていないらしい。難しい話はごめんだと言わんばかりである。
「マイクロンたちは、そうやってあたしたちの仲間を懐柔して、労働力として使おうってのさ。途中でもいくつか街を見たけど、どの街にも仲間がいた…少なくとも、奴らは監察軍より利口だよ」
ヴェルティンカは軽くため息をつくと、例の皮肉な笑みを浮かべ、挑戦的な視線をソルダムに向けた。
「もしかして…もうこの星にいる仲間はみんな…」
「ここはもういい。ケティ、ヴェル、作業に戻れ。それと…ここのことは言うな」
話を打ち切ると、ソルダムはフッと息を吐き、ヴェルティンカに負けない好戦的な笑顔を、二人の盟友に投げかけた。
「俺達は違う…俺達はそんなヤワな連中とは違うさ…そうだろうが」
五日ほどの滞在の後、アゾニアの本隊はわずかの整備要員と警戒部隊を残して再びこの地を離れ、放浪の旅に出た。
ランは来たときと同じように、指揮車の小さな窓から凍った谷の方角をいつまでも見続けていた。が、彼女なりに何か区切りをつけたのか、それ以来、ドールの名を口にすることは滅多になくなった。
この記事へのコメント
■拍手コメントお礼
11/22 00:45のHANAさま
いつもありがとうございます。がんばりますー!
11/22 00:45のHANAさま
いつもありがとうございます。がんばりますー!
2008/11/01(土) 01:55:25 | URL | 作者。 #f4U/6FpI[ 編集]
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