その時、ランは異変に気付いた。周りの空気が、べったりとまるで張り付いてくるような不快な質感。目、鼻孔、そして皮膚を貫いて襲い来る刺すような痛み。
「何…これ…」
「各個に迎撃しつつ脱出せよ!」
フィムナは喉を押さえながら叫び、ランの腕をとると、煙と敵兵の合間を縫って駆け出そうとした。
「早くこっちへ!」
その足先を銃弾がかすめて土を弾き飛ばし、フィムナは思わず足を止めた。
「抵抗はやめろ!武器を捨てて投降しなさい!抵抗しなければ、殺しはしない!」
敵の言葉に耳を傾ける気など毛頭なかった。苦痛に顔を歪めながらも、兵たちは一斉に反撃を開始する。
その隙をついて、フィムナはランの手を引いて走った。
燃え残ってくすぶる金属の破片を踏み越え、少しでも身を隠せる場所を求めて廃墟の奥へと向かう。
その女兵士に手を引かれて走り去る、極端に背の低い人物の姿をバルキリーのカメラアイが捉えていた。
「あれだ!あれに間違いない!」
「追うんだ!」
アランの部下、二機のバトロイドが後を追って走り出し、建物の陰へ逃げようとする二人の前に回りこんだ。
「参謀!早く逃げて」
立ちふさがる敵兵との間に割って入ったフィムナが、両手に持った銃で必死に敵を食い止めようと試みた。
「フィムナ!」
悲鳴を上げるランの眼前で、鉄の腕が容赦なく振られ、フィムナを払い退けた。
フィムナの体はひとたまりもなく吹き飛び、建物の壁に背中から叩きつけられ、そのままぐったりと動かなくなる。
「……!!」
敵は今度はランに迫った。
一瞬の差。まさに掴みかかろうとする機械の手をランは紙一重ですり抜けると、脱兎の勢いで走り出した。
「あッ」
標的の意外なすばしこさに面食らったパイロットは、慌ててガウォークに変形してその後を追った。
巨人の少女は狭い路地に滑り込み、ガウォークは翼を引っ掛けて往生を余儀なくされる。
「くそっ」
二機はバトロイドに変形し、あらためて少女を追った。
その重々しい足音を背中に聞きながら、ランは無我夢中で走った。催涙剤の残滓が顔をぴりぴりと痛めつけ、涙を溢れさせる。
あの恐ろしいマイクロンが追ってくる。恐怖で叫びだしたくなる心を必死に抑えながら、ランは孤独な逃亡を開始した。
「隊長!指揮所が襲われた!!」
悲痛な叫びが通信機を通して耳に入ったその瞬間、アゾニアはすべてを悟った。
――ハメられた――!
氷塊が汗と共に脊髄をすべり落ち、次いで全身の血が逆流して頭へと向かった時、ヘッドホン越しのソルダムの声が、暴走しかけた彼女の心を食い止めた。
「アゾニア、戻れ!」
「し、しかし…」
「ここは俺がなんとかまとめて引き上げる。早く行け」
アゾニアはなおも躊躇した。
「本来、ここは俺の担当だぜ?」
「わかった…頼む」
その言葉を残すと、アゾニアは向きを変え、バーニアを噴かして戦場を離脱した。二機の部下が慌てて追いかける。
アゾニアが脱出したのを見届けると、ソルダムはドルシラを呼び出した。
「ドルシラ、聞こえるか。指揮所が襲われた」
「なんだってェ!?」
「騒ぐな。アゾニアが向かってる。俺たちも引き上げるぞ。もうコンテナは構わんから対装甲弾を使え。射撃は一回でいい。その後に煙とチャフだ。タイミングは指示する!」
アゾニアは突撃したルートを逆にたどり、必死に指揮所に向かっていた。ゼントラーディのバトルスーツは、基本的に飛行することはできない。ロケットバーニアの噴射で体を浮かし、滑空するのである。
「司令部、応答しろ。ラン、無事か!」
必死の呼びかけに、通信機は雑音を返すばかりであった。
焦りの感情を意思の力によってねじ伏せ、アゾニアはあらゆる状況を想定してとるべき最善の方法を考えていた。
最悪の状況が頭をよぎる。後悔の念が彼女を包んでいた。指揮所を離れるようなことをしなければ、ランを危険に陥れるような真似はさせなかったものを。
突如、前方に何かが光り、アゾニアのすぐ横をすり抜けた。
「くっ」
モニター内に、こちらに向かって銃を構える敵の姿が見えた。5、6機はいる。
「畜生、待ち伏せしやがって!」
怒りの咆哮と共に、アゾニアはハンドガンを撃った。その光弾を避け、敵は一斉に攻撃をかけてきた。
遮蔽物の何もない砂漠の上。アゾニア達は不利であった。敵に囲まれないよう飛びすさりつつ反撃をするうち、部下の一機が遅れた。
「ジェンナ!」
振り返ったアゾニアの目と鼻の先で、全身に銃弾を浴びた部下のディルクラン・ドゥが崩れ落ちる。
女戦士達はひるまない。すかさず敵の二機を屠ったが、敵の銃弾も容赦なかった。もう一機残った部下が被弾した。
銃弾はバトルスーツの左脚を根こそぎ持ち去り、すさまじい苦痛の叫びがインカムを通してアゾニアの耳を叩いた。
「……!」
すでに敵は彼女らを包囲しつつある。
アゾニアは鮮血にまみれてうずくまる部下の元に駆け寄ると、ナパーム手榴弾を取り出した。
「…チルカ、今楽にしてやる!」
ただ一機残ったゼントラーディのバトルスーツを前にして、バルキリーのパイロット達には、それが戦意を喪失して武器を捨てたように見えた。
しかし次の瞬間、凄まじい光と熱が襲いかかった。
一番近くにいた一機がはじき飛ばされて地面に叩きつけられ、動かなくなった。
アゾニアは武器を捨てるふりをしてナパーム弾の燃料を撒き、レーザーで撃ったのだ。ナパーム燃料による激しい炎はたちまち、倒れたバトルスーツの反応炉に引火して大爆発を巻き起こした。
その爆発と同時に、アゾニアは最大出力でバーニアを噴かし、上空へ跳んだ。ディルクラン・ドゥの成しうる、最大のジャンプであった。
辛くもその場を脱出したものの、バトルスーツは深刻なダメージを受けていた。
「畜生…マイクロン共…」
アゾニアは着地するとバトルスーツを脱ぎ捨て、バックパックの脇に取り付けた銃をとると、陣のある丘を目指して全速で駆けだした。
「ウルフハウンド!敵の拠点を完全に制圧。射殺あるいは拘束した者の中に、指揮官らしき者は見当たらない。目標については尚も追跡続行中」
硝煙の煙がまだ霞のように残る敵の指揮所から、アランは報告をした。
「了解、敵は撤退を開始した。捕獲を急げ」
「…了解」
アランは軽い焦りを感じた。指揮所を制圧したとはいえ、指揮官を取り逃がしたということは、敵の反撃の可能性が充分にあり得るのだ。
「パンサーツー、テッド、様子はどうだ」
彼は部下の一人を呼んだ。
「ちょこまかと逃げ回っています。狭いところに入り込まれて、なかなか身動きがとれません」
「何のためのVFだ。ガウォークで上からナビゲートしろ。ホワン、お前は下からだ」
「は、はいっ」
「いいか、目標は丘を下ろうとするはずだ。先回りしろ。俺も行く。ビーコンを送ってくれ」
「了解」
通信を切ると、アランは残った部下に警戒を怠らないよう注意し、廃墟の中へと入っていった。
遺跡の街の残骸の群れを縫うように、ランは逃げ惑った。すでにヘルメットも銃もどこかへかなぐり捨ててしまっていたが、今は銃より、わずかでも身を軽くして走りやすくする方が、まだ勝算があるというものだった。
壁だけが残っている建物の中に無理やり入り込むと、懸命に息を整えた。心臓も肺も、限界を訴えて悲鳴をあげている。
しかし、ろくに休む間もなく、あの金属の足音が接近し、ランはあわてて建物から抜け出し、再び走るはめとなった。
――生体反応サーチされてる――
いくら走っても、隠れても、逃げ切れない…そんな絶望の思いが心を捉えかけた。が、ランは頭をひとつ振ってその考えを追い出すと、重たい足に叱咤の鞭を入れた。
きっとアゾニアが来てくれる。一筋の希望が今の彼女の原動力の全てであった。
無意識に、口から小さなつぶやきが漏れた。
「アゾニア…ドール司令…助けて…!!」
一方、上空の司令部でも、焦りの空気が濃くなっていた。
ドールは身じろぎ一つせず、腕組みをしたままたたずんでいたが、記録参謀エキセドルの目には、指揮官の苛立ちと葛藤が明確に見てとれていた。
アラン達が敵陣を急襲してからかなりの時間が経過した。すでに敵の主力部隊は後退を開始し、援護の砲撃が降り注いでいる。無理に追えばこちらの損害も無視できなくなる。
「パンサー隊、現況を知らせよ」
指揮官に成り代わって、エキセドルは言葉を発した。
「パンサーワン、目標は現在なお逃走中。三機にて追跡しているが、建物の残骸に阻まれ、苦慮しています」
ドールが重々しく口を開いた。
「発砲は許可してあるはずだ。足を撃て。動きを止めよ」
「……!」
女性オペレーターの一人が、怯えの混じった目でドールの表情を盗み見た。
同じような驚愕の空気が、通信機の向こうからも伝わってきたようだった。
「り…了解…」
アランは通信を終えると、操縦桿を握り直した。手袋がかすかな音をたてる。
彼には分かっていた。たとえ足がどうなろうと、生きてさえいればいい。今はとにかく捕らえることが目的なのだと。それがゼントラーディ人の考え方だ。
しかし彼が今まで撃たなかったのは、この目標がドールの旧知の人物だと知っていたからだ。
合理主義というにはあまりに徹底した非情さに、さすがのアランも戦慄を禁じえなかった。
アランの予測どおり、ランはゆるい丘を下っていた。
崩れかけたコンクリートに寄り添い、姿勢を低くしてそろそろと進むうち、かつての大通りらしき道に行き当たった。ここを渡らねば先には進めない。
聴覚を総動員して辺りの様子を窺うと、意を決してランは路地から飛び出した。
しかし建物の角を曲がったとたん、不意に現れた人型の機械に、行く手を塞がれてしまった。
「!!」
慌ててUターンしようとした眼前に、もう一機の敵兵が立ちはだかった。ランは顔色を失い、一瞬の逡巡の後に、再び反転して駆け出した。
猛然たる勢いで敵メカの脇の下を走りぬけようとした巨人の少女だが、バトロイドの動きがわずかにそれを上回った。戦闘服の襟を鉄の指がきわどいところで捕らえ、後ろに引っ張られた少女は悲鳴をあげた。
「こら、おとなしくしろ!」
バルキリーのパイロットはつい声を荒げた。
その声は外部スピーカーを通して流れ、それに怯えたランはますます暴れた。
「くっ…」
パイロットにとって予想外だったのは、この普通のゼントラーディ人と比べても体格の小さい少女の、その抵抗ぶりであった。
もう一機が駆け寄ってきて取り押さえようとしたが、小さな闘士はその迫り来る腕を蹴飛ばした。そして両足を踏ん張り、肩を掴む不埒者をなんとか振り払おうと、上半身を激しく揺さぶった。
「たっ…隊長、捕まえました。早く来てください!」
翻弄されたパイロットは情けない声をあげた。相手がゼントラーディ人である以上、絶対に甘く見るな。事前に隊長のアランから言われたことを、今さらながらこのパイロットは噛み締めたのだった。
そこへアランのバトロイドが駆けつけた。
二機の部下は、やっとのことで獲物の両腕と両足を押さえ込んだところであった。それでもなお、果敢に抵抗を続ける小さなゼントラーディ人を見て、アランは驚きを隠せなかった。
「この子が…」
想像していたよりもずっと幼い顔である。赤い髪は乱れ、土埃に汚れた顔は色白というよりむしろ蒼白であった。このか弱げな少女が、あの老獪を絵にしたようなエキセドルと同じ種類の人間で、統合軍を手玉に取り続けた狼の頭脳だとは、にわかに信じ難かった。
「はっ…放せ!はなせー!」
巨人の少女は半狂乱で叫んでいる。アランは急いでその側に駆け寄り、外部スピーカーをオンにして息を吸い込んだ。
「大人しくしてくれ!ドールさんが君を心配しているぞ!!」
空気が止まった。
少女は凍り付いた顔をアランの方に向けた。その恐怖に見開かれた赤い瞳を見た時、アランの脳裏に何かが引っかかりかけたが、それは半瞬のことであった。
黒い影が飛んだ。
猛然たる勢いで何かが走り来たのだ。影は跳躍し、ランの足を捉えていたバトロイドの直上に落ちて来た。
「うわっ!!」
頭上からの一撃でバトロイドは大きくよろけ、建物にぶつかった。脆くなっていたコンクリートは衝撃に耐えきれず、巨体をめりこませた。
「アゾニア!」
獣の形相の女戦士は、息をもつかずもう一機のバトロイドに襲いかかった。ガンポッドを構える暇もない。銃の台尻がメインカメラに叩きつけられ、頭部が半壊した。バランスを失った敵の手が離れ、ランは砂の上に投げ出された。
「早く逃げろ!!」
「アゾニア!」
「早く!!」
アゾニアは続いてアランのバトロイドに挑みかかった。
振り下ろされる銃をアランはガンポッドで受け止めた。
「や…やめないか!」
コックピットの中から思わずアランは叫んだ。
彼としても、できれば生身の兵士を相手にしたくない。が、そのような悠長なことを言っていたら自分の身が危うい程に、眼前の女兵士の力は驚くべきものであった。
ぎりぎりと鍔迫り合いを繰り広げるアゾニアと敵兵を前に、ランは全身の力を総動員して立ち上がった。
そのまま走り去ろうとしたが、膝が反乱を起こした。自らの脚につまづき、倒れそうになった彼女の体を飛び出してきた何者かが受け止め、そのままひっさらうように小脇に抱えて駆けだした。
「平気か!」
「ソルダム…!?」
ソルダムのヌージャデル・ガーであった。バーニアを噴かし、一挙にその場を離れながら、外に向かって叫ぶ。
「アゾニア!お前も早く引け!撤退の方は大丈夫だ。集結地点で待ってるぞ!」
その声を聞くと、アゾニアは渾身の力を使ってアランの機体をガンポッドごと押し返すと、大きく飛び退き、来たときと同じように風のごとく走って廃墟の中に消えた。
「待て!」
アランは追おうとしたが、そこへさらに飛び出してきた二機のバトルスーツが猛烈な銃撃を加えて行く手を塞ぎ、すぐにその場から脱出していった。
砂漠の廃墟に再び静寂が訪れた。
「…テッド、ホワン、大丈夫か」
脱力感に苛まれながら、アランは部下の無事を確認した。
「だ、大丈夫です。隊長、追いましょう」
「無駄だ。そんな有様で、どうやって追跡できるんだ」
「……」
バルキリーのメインカメラを叩き潰された部下は口ごもった。
アランは苦い表情で、敵の走り去った方角を見つめた。
疾走するソルダムのヌージャデル・ガーの腕に抱えられながら、ランは必死にその胸部ハッチを叩いて訴えた。
「フィムナが、フィムナがまだあっちに!」
「え…ああ!?」
ランが指差すのはまだ敵がうろつく指揮所の方角である。
「…ええい、面倒くせぇ奴らだなぁっ!」
一瞬の躊躇の後、ソルダムは向きを変えた。
狭い路地の一角、表通りからは死角になった場所に、建物に寄りかかるようにしてフィムナは倒れていた。ソルダムはバトルスーツを降りると、その肩に手をかけ、耳元で叫んだ。
「おい、起きろ、おい!」
長い睫が飾る瞼は固く閉じられ、全く動かない。
「フィムナ…死んじゃったの…?」
「いや、脳震盪を起こしてるだけだろう」
その時、あの敵兵の足音がにわかに聞こえ、振り返る間もなく銃撃音が鳴り響いた。
銃弾は搭乗者のいないヌージャデル・ガーに浴びせられ、その頭部が吹き飛ばされた。
「やべぇ!」
ソルダムはフィムナの体を肩に担ぎ上げると、ランの手を掴んで全速力で駆け出した。
その足先を銃弾がかすめる。ソルダムは手榴弾のピンを口で抜くと、後ろに向かって投げつけた。
「…ちっくしょう…重いなぁ!くそっ!」
気の重い内容ではあるが、報告はしなければならない。アランは上空のドールへと連絡をとった。
「ウルフハウンド、パンサーワン」
「パンサーワン送れ」
「申し訳ありません。敵の逆襲にあい、目標を取り逃がしました…」
「……」
ヘッドホンの向こうから伝わる落胆の空気がアランの心をちくちくと刺した。
「…ご苦労でした。敵残存兵力に注意し、待機してください」
「了解…」
通信を終えると、アランは重いため息を吐いた。
一番重要な局面を任されたにもかかわらず、期待に応えられなかった。ドールが今回の作戦にかけていた意気込みを知っているだけに、面目ない気持ちで一杯であった。
「隊長、何でしょう。これ」
部下のバトロイドが足元を指した。
「…?」
踏み荒らされた砂の上に何かきらりと光るものがある。
アランはそれを拾い上げた。銀色のプレート状のものにちぎれた鎖がついている。そこには、ゼントラーディ文字で何か書かれてあった。
「認識票…か…?」
「そういえば隊長、さっきゼントラーディ語で何か言いましたよね。何て言ったんですか?」
アランの脳裏に、あのゼントラーディの少女の、怯えた顔が思い出された。
「あ、ああ…何もしないから大人しくしてくれ…って、言ったつもりだったんだが…発音が悪かったかな、はは…」
その時、ディスク・センサーのオペレーターから指示が届いた。
「パンサーワン、ニュー・バルナ・シティ基地より司令部中隊のヘリが向かっている。任務申し送りの上、帰還せよ」
「了解」
残骸と化した敵の本部であるが、調査すればそこそこの情報は得られるであろう。
彼らにはまだ次の任務が待っている。友軍の到着を見届けた後、一旦、燃料と弾薬の補給をしなければならない。
「それにしても…」
アランはさきほどから、妙な引っかかりを感じていた。
「あの子、どこかで…」
「怪我はないか!?」
地面に手をつき、ゼエゼエと喘ぎながらソルダムは尋ねた。汗がしたたり落ち、後ろになでつけていた亜麻色の髪は半分ほどほどけている。陣地のあった丘から離れた、岩場の目立たない場所。ここまで逃げればさすがに心配ないだろう。
ランは砂地の上にへたり込み、激しく咳き込んでいた。その傍らには未だ意識の戻らないフィムナが横たえられている。
「奴ら…多分、お前が狙いだったんだ…」
荒い息を何とか整えながら、ソルダムは言った。
「なんで…」
「決まってるだろ。俺達を文字通り"脳なし"にする気さ」
「……」
「あいつら…気付いたんだ。お前の存在に」
「……」
ランは下を向いた。彼の推理はおそらく正しい。
敵は最初から、自分一人を騙すためにあの大掛かりな罠を張ったのだ。
それを見破れなかった自分が情けなかった。軍団が抱える慢性的な食糧不足に、まんまとつけこまれてしまったのだ。
唇を噛むランの傍らで、ソルダムはどこかとひとしきり連絡を取り合うと、彼女の方を向いた。
「撤退の方はなんとかうまくいった。すぐ迎えがくるぜ。さ、立てよ」
「ん…」
ソルダムに促され、ランは立ち上がると服装を整えようとして、異変に気付いた。
「ああ!」
「なんだ!?」
「IDが…」
記録参謀は襟を広げ、首元をまさぐりながら情けない声をあげていた。その手にべったりと血がこびりついているのを見て、ソルダムはむしろそちらの方に驚いた。
「大丈夫なのか!?」
ランはきょとんとした顔をすると、手を広げて見た。
「別に痛くない…」
傷は手ではなく、首まわりらしい。出血ほどには傷は深くないのであろう。おそらく先ほどのもみ合いでどこか切ったに違いない。鎖もその時に千切れたのだろう。
しかし傷が大したものでないなら、気にする事もない。
「さ、行くぞ」
「ん…でも…」
「ほっとけよ、そんなもん」
「だって…あれがないと…」
「があっ!鬱陶しい奴だな!一体誰が!お前を見て監察軍のスパイだとか思うんだよ、このチビったれが!」
ランは世にも情けない表情でソルダムを睨みつけたが、反論はできなかった。
その時、耳慣れた機動音が複数、近づいてきた。
「ラン!」
「アゾニア!」
数機のバトルスーツと共に現れたアゾニアは、ランの姿を見ると駆け寄ってきた。首元の血に一瞬、驚いた様子だったが、元気そうなのを見て安心したらしい。砂と煤と血で汚れた顔が安堵の形にほころんだ。
ランは何かを言いかけたが、不意に唇が震え出し、言葉にならなかった。次いで、膝がガクガクとし、急速に力が抜けていくのを彼女は感じた。
それを察したアゾニアは、手を伸ばし、ランの肩に乗った砂を払うと、しっかりとその肩を抱えるようにして歩き出した。
「すまなかった…酷い目に遭わせたな…」
そんなアゾニアの言葉を、ランはどこか遠くに聞いていた。彼女の頭には、あの時敵兵の発した言葉が、疼痛のようにつきまとっていた。
気のせいだ。たまたまそのように聞こえただけだ。何度もそう自分に言い聞かせた。
記憶を薄れさせることの出来ない自分の能力が、これほど疎ましいと思ったことはなかった。
「何…これ…」
「各個に迎撃しつつ脱出せよ!」
フィムナは喉を押さえながら叫び、ランの腕をとると、煙と敵兵の合間を縫って駆け出そうとした。
「早くこっちへ!」
その足先を銃弾がかすめて土を弾き飛ばし、フィムナは思わず足を止めた。
「抵抗はやめろ!武器を捨てて投降しなさい!抵抗しなければ、殺しはしない!」
敵の言葉に耳を傾ける気など毛頭なかった。苦痛に顔を歪めながらも、兵たちは一斉に反撃を開始する。
その隙をついて、フィムナはランの手を引いて走った。
燃え残ってくすぶる金属の破片を踏み越え、少しでも身を隠せる場所を求めて廃墟の奥へと向かう。
その女兵士に手を引かれて走り去る、極端に背の低い人物の姿をバルキリーのカメラアイが捉えていた。
「あれだ!あれに間違いない!」
「追うんだ!」
アランの部下、二機のバトロイドが後を追って走り出し、建物の陰へ逃げようとする二人の前に回りこんだ。
「参謀!早く逃げて」
立ちふさがる敵兵との間に割って入ったフィムナが、両手に持った銃で必死に敵を食い止めようと試みた。
「フィムナ!」
悲鳴を上げるランの眼前で、鉄の腕が容赦なく振られ、フィムナを払い退けた。
フィムナの体はひとたまりもなく吹き飛び、建物の壁に背中から叩きつけられ、そのままぐったりと動かなくなる。
「……!!」
敵は今度はランに迫った。
一瞬の差。まさに掴みかかろうとする機械の手をランは紙一重ですり抜けると、脱兎の勢いで走り出した。
「あッ」
標的の意外なすばしこさに面食らったパイロットは、慌ててガウォークに変形してその後を追った。
巨人の少女は狭い路地に滑り込み、ガウォークは翼を引っ掛けて往生を余儀なくされる。
「くそっ」
二機はバトロイドに変形し、あらためて少女を追った。
その重々しい足音を背中に聞きながら、ランは無我夢中で走った。催涙剤の残滓が顔をぴりぴりと痛めつけ、涙を溢れさせる。
あの恐ろしいマイクロンが追ってくる。恐怖で叫びだしたくなる心を必死に抑えながら、ランは孤独な逃亡を開始した。
「隊長!指揮所が襲われた!!」
悲痛な叫びが通信機を通して耳に入ったその瞬間、アゾニアはすべてを悟った。
――ハメられた――!
氷塊が汗と共に脊髄をすべり落ち、次いで全身の血が逆流して頭へと向かった時、ヘッドホン越しのソルダムの声が、暴走しかけた彼女の心を食い止めた。
「アゾニア、戻れ!」
「し、しかし…」
「ここは俺がなんとかまとめて引き上げる。早く行け」
アゾニアはなおも躊躇した。
「本来、ここは俺の担当だぜ?」
「わかった…頼む」
その言葉を残すと、アゾニアは向きを変え、バーニアを噴かして戦場を離脱した。二機の部下が慌てて追いかける。
アゾニアが脱出したのを見届けると、ソルダムはドルシラを呼び出した。
「ドルシラ、聞こえるか。指揮所が襲われた」
「なんだってェ!?」
「騒ぐな。アゾニアが向かってる。俺たちも引き上げるぞ。もうコンテナは構わんから対装甲弾を使え。射撃は一回でいい。その後に煙とチャフだ。タイミングは指示する!」
アゾニアは突撃したルートを逆にたどり、必死に指揮所に向かっていた。ゼントラーディのバトルスーツは、基本的に飛行することはできない。ロケットバーニアの噴射で体を浮かし、滑空するのである。
「司令部、応答しろ。ラン、無事か!」
必死の呼びかけに、通信機は雑音を返すばかりであった。
焦りの感情を意思の力によってねじ伏せ、アゾニアはあらゆる状況を想定してとるべき最善の方法を考えていた。
最悪の状況が頭をよぎる。後悔の念が彼女を包んでいた。指揮所を離れるようなことをしなければ、ランを危険に陥れるような真似はさせなかったものを。
突如、前方に何かが光り、アゾニアのすぐ横をすり抜けた。
「くっ」
モニター内に、こちらに向かって銃を構える敵の姿が見えた。5、6機はいる。
「畜生、待ち伏せしやがって!」
怒りの咆哮と共に、アゾニアはハンドガンを撃った。その光弾を避け、敵は一斉に攻撃をかけてきた。
遮蔽物の何もない砂漠の上。アゾニア達は不利であった。敵に囲まれないよう飛びすさりつつ反撃をするうち、部下の一機が遅れた。
「ジェンナ!」
振り返ったアゾニアの目と鼻の先で、全身に銃弾を浴びた部下のディルクラン・ドゥが崩れ落ちる。
女戦士達はひるまない。すかさず敵の二機を屠ったが、敵の銃弾も容赦なかった。もう一機残った部下が被弾した。
銃弾はバトルスーツの左脚を根こそぎ持ち去り、すさまじい苦痛の叫びがインカムを通してアゾニアの耳を叩いた。
「……!」
すでに敵は彼女らを包囲しつつある。
アゾニアは鮮血にまみれてうずくまる部下の元に駆け寄ると、ナパーム手榴弾を取り出した。
「…チルカ、今楽にしてやる!」
ただ一機残ったゼントラーディのバトルスーツを前にして、バルキリーのパイロット達には、それが戦意を喪失して武器を捨てたように見えた。
しかし次の瞬間、凄まじい光と熱が襲いかかった。
一番近くにいた一機がはじき飛ばされて地面に叩きつけられ、動かなくなった。
アゾニアは武器を捨てるふりをしてナパーム弾の燃料を撒き、レーザーで撃ったのだ。ナパーム燃料による激しい炎はたちまち、倒れたバトルスーツの反応炉に引火して大爆発を巻き起こした。
その爆発と同時に、アゾニアは最大出力でバーニアを噴かし、上空へ跳んだ。ディルクラン・ドゥの成しうる、最大のジャンプであった。
辛くもその場を脱出したものの、バトルスーツは深刻なダメージを受けていた。
「畜生…マイクロン共…」
アゾニアは着地するとバトルスーツを脱ぎ捨て、バックパックの脇に取り付けた銃をとると、陣のある丘を目指して全速で駆けだした。
「ウルフハウンド!敵の拠点を完全に制圧。射殺あるいは拘束した者の中に、指揮官らしき者は見当たらない。目標については尚も追跡続行中」
硝煙の煙がまだ霞のように残る敵の指揮所から、アランは報告をした。
「了解、敵は撤退を開始した。捕獲を急げ」
「…了解」
アランは軽い焦りを感じた。指揮所を制圧したとはいえ、指揮官を取り逃がしたということは、敵の反撃の可能性が充分にあり得るのだ。
「パンサーツー、テッド、様子はどうだ」
彼は部下の一人を呼んだ。
「ちょこまかと逃げ回っています。狭いところに入り込まれて、なかなか身動きがとれません」
「何のためのVFだ。ガウォークで上からナビゲートしろ。ホワン、お前は下からだ」
「は、はいっ」
「いいか、目標は丘を下ろうとするはずだ。先回りしろ。俺も行く。ビーコンを送ってくれ」
「了解」
通信を切ると、アランは残った部下に警戒を怠らないよう注意し、廃墟の中へと入っていった。
遺跡の街の残骸の群れを縫うように、ランは逃げ惑った。すでにヘルメットも銃もどこかへかなぐり捨ててしまっていたが、今は銃より、わずかでも身を軽くして走りやすくする方が、まだ勝算があるというものだった。
壁だけが残っている建物の中に無理やり入り込むと、懸命に息を整えた。心臓も肺も、限界を訴えて悲鳴をあげている。
しかし、ろくに休む間もなく、あの金属の足音が接近し、ランはあわてて建物から抜け出し、再び走るはめとなった。
――生体反応サーチされてる――
いくら走っても、隠れても、逃げ切れない…そんな絶望の思いが心を捉えかけた。が、ランは頭をひとつ振ってその考えを追い出すと、重たい足に叱咤の鞭を入れた。
きっとアゾニアが来てくれる。一筋の希望が今の彼女の原動力の全てであった。
無意識に、口から小さなつぶやきが漏れた。
「アゾニア…ドール司令…助けて…!!」
一方、上空の司令部でも、焦りの空気が濃くなっていた。
ドールは身じろぎ一つせず、腕組みをしたままたたずんでいたが、記録参謀エキセドルの目には、指揮官の苛立ちと葛藤が明確に見てとれていた。
アラン達が敵陣を急襲してからかなりの時間が経過した。すでに敵の主力部隊は後退を開始し、援護の砲撃が降り注いでいる。無理に追えばこちらの損害も無視できなくなる。
「パンサー隊、現況を知らせよ」
指揮官に成り代わって、エキセドルは言葉を発した。
「パンサーワン、目標は現在なお逃走中。三機にて追跡しているが、建物の残骸に阻まれ、苦慮しています」
ドールが重々しく口を開いた。
「発砲は許可してあるはずだ。足を撃て。動きを止めよ」
「……!」
女性オペレーターの一人が、怯えの混じった目でドールの表情を盗み見た。
同じような驚愕の空気が、通信機の向こうからも伝わってきたようだった。
「り…了解…」
アランは通信を終えると、操縦桿を握り直した。手袋がかすかな音をたてる。
彼には分かっていた。たとえ足がどうなろうと、生きてさえいればいい。今はとにかく捕らえることが目的なのだと。それがゼントラーディ人の考え方だ。
しかし彼が今まで撃たなかったのは、この目標がドールの旧知の人物だと知っていたからだ。
合理主義というにはあまりに徹底した非情さに、さすがのアランも戦慄を禁じえなかった。
アランの予測どおり、ランはゆるい丘を下っていた。
崩れかけたコンクリートに寄り添い、姿勢を低くしてそろそろと進むうち、かつての大通りらしき道に行き当たった。ここを渡らねば先には進めない。
聴覚を総動員して辺りの様子を窺うと、意を決してランは路地から飛び出した。
しかし建物の角を曲がったとたん、不意に現れた人型の機械に、行く手を塞がれてしまった。
「!!」
慌ててUターンしようとした眼前に、もう一機の敵兵が立ちはだかった。ランは顔色を失い、一瞬の逡巡の後に、再び反転して駆け出した。
猛然たる勢いで敵メカの脇の下を走りぬけようとした巨人の少女だが、バトロイドの動きがわずかにそれを上回った。戦闘服の襟を鉄の指がきわどいところで捕らえ、後ろに引っ張られた少女は悲鳴をあげた。
「こら、おとなしくしろ!」
バルキリーのパイロットはつい声を荒げた。
その声は外部スピーカーを通して流れ、それに怯えたランはますます暴れた。
「くっ…」
パイロットにとって予想外だったのは、この普通のゼントラーディ人と比べても体格の小さい少女の、その抵抗ぶりであった。
もう一機が駆け寄ってきて取り押さえようとしたが、小さな闘士はその迫り来る腕を蹴飛ばした。そして両足を踏ん張り、肩を掴む不埒者をなんとか振り払おうと、上半身を激しく揺さぶった。
「たっ…隊長、捕まえました。早く来てください!」
翻弄されたパイロットは情けない声をあげた。相手がゼントラーディ人である以上、絶対に甘く見るな。事前に隊長のアランから言われたことを、今さらながらこのパイロットは噛み締めたのだった。
そこへアランのバトロイドが駆けつけた。
二機の部下は、やっとのことで獲物の両腕と両足を押さえ込んだところであった。それでもなお、果敢に抵抗を続ける小さなゼントラーディ人を見て、アランは驚きを隠せなかった。
「この子が…」
想像していたよりもずっと幼い顔である。赤い髪は乱れ、土埃に汚れた顔は色白というよりむしろ蒼白であった。このか弱げな少女が、あの老獪を絵にしたようなエキセドルと同じ種類の人間で、統合軍を手玉に取り続けた狼の頭脳だとは、にわかに信じ難かった。
「はっ…放せ!はなせー!」
巨人の少女は半狂乱で叫んでいる。アランは急いでその側に駆け寄り、外部スピーカーをオンにして息を吸い込んだ。
「大人しくしてくれ!ドールさんが君を心配しているぞ!!」
空気が止まった。
少女は凍り付いた顔をアランの方に向けた。その恐怖に見開かれた赤い瞳を見た時、アランの脳裏に何かが引っかかりかけたが、それは半瞬のことであった。
黒い影が飛んだ。
猛然たる勢いで何かが走り来たのだ。影は跳躍し、ランの足を捉えていたバトロイドの直上に落ちて来た。
「うわっ!!」
頭上からの一撃でバトロイドは大きくよろけ、建物にぶつかった。脆くなっていたコンクリートは衝撃に耐えきれず、巨体をめりこませた。
「アゾニア!」
獣の形相の女戦士は、息をもつかずもう一機のバトロイドに襲いかかった。ガンポッドを構える暇もない。銃の台尻がメインカメラに叩きつけられ、頭部が半壊した。バランスを失った敵の手が離れ、ランは砂の上に投げ出された。
「早く逃げろ!!」
「アゾニア!」
「早く!!」
アゾニアは続いてアランのバトロイドに挑みかかった。
振り下ろされる銃をアランはガンポッドで受け止めた。
「や…やめないか!」
コックピットの中から思わずアランは叫んだ。
彼としても、できれば生身の兵士を相手にしたくない。が、そのような悠長なことを言っていたら自分の身が危うい程に、眼前の女兵士の力は驚くべきものであった。
ぎりぎりと鍔迫り合いを繰り広げるアゾニアと敵兵を前に、ランは全身の力を総動員して立ち上がった。
そのまま走り去ろうとしたが、膝が反乱を起こした。自らの脚につまづき、倒れそうになった彼女の体を飛び出してきた何者かが受け止め、そのままひっさらうように小脇に抱えて駆けだした。
「平気か!」
「ソルダム…!?」
ソルダムのヌージャデル・ガーであった。バーニアを噴かし、一挙にその場を離れながら、外に向かって叫ぶ。
「アゾニア!お前も早く引け!撤退の方は大丈夫だ。集結地点で待ってるぞ!」
その声を聞くと、アゾニアは渾身の力を使ってアランの機体をガンポッドごと押し返すと、大きく飛び退き、来たときと同じように風のごとく走って廃墟の中に消えた。
「待て!」
アランは追おうとしたが、そこへさらに飛び出してきた二機のバトルスーツが猛烈な銃撃を加えて行く手を塞ぎ、すぐにその場から脱出していった。
砂漠の廃墟に再び静寂が訪れた。
「…テッド、ホワン、大丈夫か」
脱力感に苛まれながら、アランは部下の無事を確認した。
「だ、大丈夫です。隊長、追いましょう」
「無駄だ。そんな有様で、どうやって追跡できるんだ」
「……」
バルキリーのメインカメラを叩き潰された部下は口ごもった。
アランは苦い表情で、敵の走り去った方角を見つめた。
疾走するソルダムのヌージャデル・ガーの腕に抱えられながら、ランは必死にその胸部ハッチを叩いて訴えた。
「フィムナが、フィムナがまだあっちに!」
「え…ああ!?」
ランが指差すのはまだ敵がうろつく指揮所の方角である。
「…ええい、面倒くせぇ奴らだなぁっ!」
一瞬の躊躇の後、ソルダムは向きを変えた。
狭い路地の一角、表通りからは死角になった場所に、建物に寄りかかるようにしてフィムナは倒れていた。ソルダムはバトルスーツを降りると、その肩に手をかけ、耳元で叫んだ。
「おい、起きろ、おい!」
長い睫が飾る瞼は固く閉じられ、全く動かない。
「フィムナ…死んじゃったの…?」
「いや、脳震盪を起こしてるだけだろう」
その時、あの敵兵の足音がにわかに聞こえ、振り返る間もなく銃撃音が鳴り響いた。
銃弾は搭乗者のいないヌージャデル・ガーに浴びせられ、その頭部が吹き飛ばされた。
「やべぇ!」
ソルダムはフィムナの体を肩に担ぎ上げると、ランの手を掴んで全速力で駆け出した。
その足先を銃弾がかすめる。ソルダムは手榴弾のピンを口で抜くと、後ろに向かって投げつけた。
「…ちっくしょう…重いなぁ!くそっ!」
気の重い内容ではあるが、報告はしなければならない。アランは上空のドールへと連絡をとった。
「ウルフハウンド、パンサーワン」
「パンサーワン送れ」
「申し訳ありません。敵の逆襲にあい、目標を取り逃がしました…」
「……」
ヘッドホンの向こうから伝わる落胆の空気がアランの心をちくちくと刺した。
「…ご苦労でした。敵残存兵力に注意し、待機してください」
「了解…」
通信を終えると、アランは重いため息を吐いた。
一番重要な局面を任されたにもかかわらず、期待に応えられなかった。ドールが今回の作戦にかけていた意気込みを知っているだけに、面目ない気持ちで一杯であった。
「隊長、何でしょう。これ」
部下のバトロイドが足元を指した。
「…?」
踏み荒らされた砂の上に何かきらりと光るものがある。
アランはそれを拾い上げた。銀色のプレート状のものにちぎれた鎖がついている。そこには、ゼントラーディ文字で何か書かれてあった。
「認識票…か…?」
「そういえば隊長、さっきゼントラーディ語で何か言いましたよね。何て言ったんですか?」
アランの脳裏に、あのゼントラーディの少女の、怯えた顔が思い出された。
「あ、ああ…何もしないから大人しくしてくれ…って、言ったつもりだったんだが…発音が悪かったかな、はは…」
その時、ディスク・センサーのオペレーターから指示が届いた。
「パンサーワン、ニュー・バルナ・シティ基地より司令部中隊のヘリが向かっている。任務申し送りの上、帰還せよ」
「了解」
残骸と化した敵の本部であるが、調査すればそこそこの情報は得られるであろう。
彼らにはまだ次の任務が待っている。友軍の到着を見届けた後、一旦、燃料と弾薬の補給をしなければならない。
「それにしても…」
アランはさきほどから、妙な引っかかりを感じていた。
「あの子、どこかで…」
「怪我はないか!?」
地面に手をつき、ゼエゼエと喘ぎながらソルダムは尋ねた。汗がしたたり落ち、後ろになでつけていた亜麻色の髪は半分ほどほどけている。陣地のあった丘から離れた、岩場の目立たない場所。ここまで逃げればさすがに心配ないだろう。
ランは砂地の上にへたり込み、激しく咳き込んでいた。その傍らには未だ意識の戻らないフィムナが横たえられている。
「奴ら…多分、お前が狙いだったんだ…」
荒い息を何とか整えながら、ソルダムは言った。
「なんで…」
「決まってるだろ。俺達を文字通り"脳なし"にする気さ」
「……」
「あいつら…気付いたんだ。お前の存在に」
「……」
ランは下を向いた。彼の推理はおそらく正しい。
敵は最初から、自分一人を騙すためにあの大掛かりな罠を張ったのだ。
それを見破れなかった自分が情けなかった。軍団が抱える慢性的な食糧不足に、まんまとつけこまれてしまったのだ。
唇を噛むランの傍らで、ソルダムはどこかとひとしきり連絡を取り合うと、彼女の方を向いた。
「撤退の方はなんとかうまくいった。すぐ迎えがくるぜ。さ、立てよ」
「ん…」
ソルダムに促され、ランは立ち上がると服装を整えようとして、異変に気付いた。
「ああ!」
「なんだ!?」
「IDが…」
記録参謀は襟を広げ、首元をまさぐりながら情けない声をあげていた。その手にべったりと血がこびりついているのを見て、ソルダムはむしろそちらの方に驚いた。
「大丈夫なのか!?」
ランはきょとんとした顔をすると、手を広げて見た。
「別に痛くない…」
傷は手ではなく、首まわりらしい。出血ほどには傷は深くないのであろう。おそらく先ほどのもみ合いでどこか切ったに違いない。鎖もその時に千切れたのだろう。
しかし傷が大したものでないなら、気にする事もない。
「さ、行くぞ」
「ん…でも…」
「ほっとけよ、そんなもん」
「だって…あれがないと…」
「があっ!鬱陶しい奴だな!一体誰が!お前を見て監察軍のスパイだとか思うんだよ、このチビったれが!」
ランは世にも情けない表情でソルダムを睨みつけたが、反論はできなかった。
その時、耳慣れた機動音が複数、近づいてきた。
「ラン!」
「アゾニア!」
数機のバトルスーツと共に現れたアゾニアは、ランの姿を見ると駆け寄ってきた。首元の血に一瞬、驚いた様子だったが、元気そうなのを見て安心したらしい。砂と煤と血で汚れた顔が安堵の形にほころんだ。
ランは何かを言いかけたが、不意に唇が震え出し、言葉にならなかった。次いで、膝がガクガクとし、急速に力が抜けていくのを彼女は感じた。
それを察したアゾニアは、手を伸ばし、ランの肩に乗った砂を払うと、しっかりとその肩を抱えるようにして歩き出した。
「すまなかった…酷い目に遭わせたな…」
そんなアゾニアの言葉を、ランはどこか遠くに聞いていた。彼女の頭には、あの時敵兵の発した言葉が、疼痛のようにつきまとっていた。
気のせいだ。たまたまそのように聞こえただけだ。何度もそう自分に言い聞かせた。
記憶を薄れさせることの出来ない自分の能力が、これほど疎ましいと思ったことはなかった。
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