薄暗い天幕の片隅で、五、六名の兵士がたむろし、何かを話し合っている。
アゾニア軍団の野営地の一角にある武器庫。ひそひそと声をひそめ、周囲を気にする様子から、その内容が後ろめたいものであることは明白であった。
「考えたんだけど…俺はやっぱりやめといた方がいいと思うな…」
一人の兵士が俯きかげんに言った。
「俺もやめとく…自信ねぇもん…」
別の兵士もそれに合わせ、力なく言った。
しかし、いま一人の兵士が、小さいながらもはっきりとした声で宣言した。
「俺は…行くよ」
「おい…」
「ボスにバレたら、ただじゃ済まないぞ?」
「銃殺刑だぞ」
口々に心配の声をあげる仲間に、その兵士はもう一度、自らの決意を確かめるように言った。
「…けど…やっぱり行く。決めたんだ」
「なぜだ!?ウマイもんがあるからか?ウタか?そりゃ、確かにそれもいいけど…きっといずれ飽きる。一時の感情に惑わされたら、後で後悔するぜ!?」
「地球人の奴らは、平等だとか何とか言ってるけど、そんなの俺達を惑わす宣伝に決まってるだろ。現に地球の生活が嫌だって、街を離れる者がいるじゃないか!」
彼らの言葉は、真剣に戦友を案じていた。
「分かってるよ…!たやすい事じゃないっのては…食いもんなんかどうだっていいんだ。テレビも、ウタもいらない。でも…俺達の世界では…」
兵士は後ろを振り返った。そこには、同じように神妙な顔をしてたたずむ女兵士の姿があった。
「俺達の世界では…男と女は一緒にいられない…」
「……」
「俺は…ずっとこいつと一緒にいたいんだ…」
女兵士も、相槌を打つように頷いた。
兵士達には、返す言葉がなかった。
この二人がよく親しげに話しているのを、仲間の多くが知っていた。親しい戦友がいるのは何も珍しい事ではない。この二人の事も、誰もそんなに気に留めていなかった。
「手を貸してくれなんて言えない。ただ、知らぬ存ぜぬを通してくれたら…ありがたい…」
これまで彼らが知らなかった何かが、知らず知らずのうちに、この軍団の中にも育ちつつあった。固いコンクリートの下で芽吹きの時を待つ、小さな種子のように…。
「先日は、すみませんでした。中佐…」
とある日の士官食堂、昼食を終え、立ち上がろうとしたドールに声を掛けた者があった。振り向くと、早瀬未沙少佐の少々気後れしたような顔がある。
何のことかと思ったが、すぐに先日の展望室での事だと思い出し、ドールは軽く苦笑した。未沙の律儀さに、どこか自分と似た匂いを感じた。
「私のことをお探しだったと聞いて…」
「あ、ええ…少佐は、歴史にお詳しいのかと思って」
地球人がどうやってこの星に誕生し、これまで歩んできたのかを知りたかった、と、彼女は説明した。
そこで、思いがけずゼントラーディ人の誕生についての話を聞くことになったのだが。
「私自身、ゼントラーディ人の出自について疑問を持っていたところだったので、別にどうこうとは思っていません」
この人は賢いのだな、と未沙は思った。たとえ彼らのルーツについてを秘密にしたところで、いずれ彼女のように真実にたどりつく者は現れるだろう。
「ところで、少佐、もう管制官はやめるのですか?艦艇運用は全くの畑違いでしょう」
「え、ええ…」
未沙は軽く周りを見回すと、場所を替えることを提案した。聞かれて困る話ではないが、立ち話で済むものでもないらしい。
PXの片隅にある喫茶店で、まずい代用紅茶にミルクを投入しながら未沙は語った。
「実は、宇宙移民計画、というのがあるのです」
「イミン…」
不思議そうな顔をするドールに、未沙は順を追って説明した。
地球人類はボドル基幹艦隊の攻撃から辛くも全滅を逃れたが、もし同様のことがあればもう勝算はない。しかし居住可能な星を見つけて移住し、第二、第三の地球と成せば、たとえ地球という星が宇宙から消えても、人類とその文化は生き続けることができる。
そのための艦が現在、月基地で建造中であること、そして彼女、早瀬未沙がその艦の艦長となることが決定しているという話だった。
「正直、私には荷が重いのではと思いましたが、グローバル総司令のたっての希望で…そんな訳で、今猛勉強中ですわ」
未沙ははにかんだような笑顔を見せた。
艦長の任だけなら他に優れた者がいくらでもいる。しかし、それだけでは駄目なのだ。両種族の共存に心を砕き、地球人の流儀にゼントラーディ人を押し込めるのではなく、両者が無理なく快適に暮らしていける、全く新しい世界を目指せる人間でないと…。
であるから、直にゼントラーディの世界を見聞きし、そして何より若く純粋な心を持つ未沙に白羽の矢が立ったのだ。
「言ってみれば、『ねずみ作戦』ですわね」
ネズミという動物は、小さくて弱くて、他の生き物にいつも食べられてしまうが、食べられる以上の速さで増えているので、この世からネズミが消えることはないという。
それはすごい発想だ、とドールは思った。
地球人はひ弱だが、生きる意欲、バイタリティはゼントラーディ人に勝るとも劣らない。武力では巨人族に遠く及ばない彼らが、ゼントラーディ軍や監察軍に匹敵する銀河の一大勢力になる日もいずれ訪れるのではないか。
いや、何千、何万周期経とうと前に進むことのない巨人族など…。
「……」
ドールはふと、つい先だっての休日に起こった、ある出来事を思い出した。
元、旗艦アルタミラの乗員だった若い女二人が突然、訪ねてきたのだ。
二人は挨拶もそこそこに、すがるような目で訴え出た。
「閣下、どうか我々と一緒に、アフリカという所に行ってもらえませんか!?」
「?」
唐突な申し出に、ドールは面食らった。
「そこに地球人に対抗している一団があるらしいと聞いて、勇気が湧いたんです。ぜひとも仲間に加わりたいと思ったのです。閣下、お願いです。我々と一緒に彼らに加わってもらえませんか?閣下が立ち上がれば、きっと多くの仲間が集められます!」
ともかくも二人を家に入れ、話を聞くと、彼女らは半泣きになりながら、勤めていた工場を突然解雇されたこと、数か月も給料の未払いが続いた上のことで、当然、退職金とやらももらえなかった事などを話した。
誰も頼る者のない二人は、やっとのことでこの官舎を探し当て、遠くの街から徒歩で来たのだという。
ドールは顔を曇らせた。地球で暮らすゼントラーディ人が、必ずしも満足のいく生活をしていないことは彼女も知っていた。
ドールは立ち上がると、二人の肩に手をおいた。
「よく聞きなさい。地球人と争いをもって何かを解決しようとしてはいけない。そうすれば彼らは、我々を愚かで野蛮な者として、ますます見下すだろう」
何とか力になってやりたいが、こういう場合どうしたらよいかは彼女もアイデアがない。ともかくも、二人の働いていたという工場に電話をかけてみた。
休日にもかかわらず、社長だという人物が出てきたのは、よほど小さな工場なのだろうが、彼女にはそこまでは分からない。
ドールは身分を明かした上で、事情を話し、せめて給料の未払いだけでも何とかしてやってもらえないか、と話したが、その男はあれこれと言い訳めいた事ばかりを言い、言質を取らせなかった。彼にしてみれば、世間知らずのゼントラーディ人を煙に巻くなど、造作もないことだろう。
肩を落とすドールに対し、二人の元部下は感謝と口惜しさの涙を流した。聞けば、これまで何回も同様の目に会っているという。
命令に従うことしか知らずに生きてきたゼントラーディ人は、おしなべて真面目によく働き、辛抱強い。そこに付け込む心無い経営者もいた。
いくら彼らでも、このような仕打ちが続けば見下されているのだと気付く。働くことは全く苦ではない。が、見下されることは我慢ならなかった。
「どうしてこんな目に遭わねばいけないのですか…私達は、何も悪いことはしていません!」
「そうだ…お前達は何も悪くはない」
ドールは断言した。定められた運命に従い、任務に忠実に生きてきたことを「悪」などと決め付けられるいわれはない。
「…だが、彼らにとっては、この地球という星は、かけがえのないものだったのだ。それを破壊してしまったのだから、彼らの怒りも憎しみも当然だ…だが、卑屈になってはいけない。こちらが卑屈になれば、地球人は自分達が善で我々が悪だと余計思い込み、より威圧的になる。理不尽な事もあるだろうが…」
「はい…」
「地球人とは不幸な出会い方をしたが、本来の敵ではない。我々に手を差し伸べてくれる地球人も必ずいる。彼らに軽んじられないためには、彼らに負けないだけの知識を身につけるしかない。そう私は思っている…」
「…はい…」
元兵士達は一応は納得した様子で、何度も礼を言い、官舎を後にした。
当座の生活費を渡しはしたが、それでよかったのかという思いはずっとつきまとった。他にも困っている元部下や他のゼントラーディ人は多くいるだろうし、自分の力ではそれらをすべて救済する事などできはしない。
多くのゼントラーディ人にとって、この星はまだ「敵地」なのだ。
「少佐、その…移民する星が見つかったとして…」
ドールは遠くを見るように、視線を上に向けた。
「そこでは、我々ゼントラーディ人と地球人は、わだかまりなく暮らしていけるでしょうか」
未沙はハッとした。彼女の言いたい事が分かったのだ。
地球という星の上にいる限り、地球人もゼントラーディ人も、ゼントラーディ人が地球を破壊したという事実の呪縛に囚われ続けることとなる。
それは、両者にとって不幸なことだ。
「ええ、ええ…!もちろんですとも」
瞳をキラキラと輝かせながら、未沙は「新天地」の理想を語った。単に地球の文化、文明をそっくり移植するのではなく、地球、ゼントラーディ両者の文化を融合した全く新しい世界を作るのだ、と。
「今はゼントラーディの人たちに不自由な思いをさせてますけど…新しい星では、巨人族が大きいままでも暮らせるような、そんな工夫もしたいですわ」
少女のようなその表情を見て、ドールは少々羨ましいような気持ちになった。が、ただ羨ましいだけではない。何か勇気づけられるような気がしたのだ。そうか、これが夢を描くということか…。
少し難しく考え過ぎていたようだ。自分にもできるかも知れない。
砂漠をひたすら走ること数日、出迎えの兵と合流したランの一行は、本隊の隠れるアフリカ大陸東部の谷間へとたどり着いた。
そこは、全く不思議な所であった。
濃い緑の草、伸びやかに枝を広げる木々。これまでごくたまに見かけた、乾きかけた弱々しい植物とはまるで違う、勢いのよい大小様々な植生が、一旦は死んだはずの大地を覆っている。
進むほどに樹木の数は増え、豊かな森となった。樹々の高さは彼ら巨人族の装備を隠してあまりあるほどである。
兵達の中にはこのような景色を見たこともない者が多く、思わず車両のハッチから身を乗り出して外を眺める者もいた。
多くの兵達とは真逆に、ランはあまり浮かない顔であった。
「あの景色に似ている…」
度々彼女を苦しめる悪夢の景色に、驚くほどよく似ているではないか。
体の底から湧き上がる妙な感覚。何かのイメージが次々と浮かんでは、はっきりとした形になる前に消えた。
思い出しそうで思い出せない。常人にはありがちなその感覚が、記録参謀にはひどく不愉快だった。
再会したアゾニアはいつもと変わらぬ様子で、別働隊の苦労を労った。ヴェルティンカの死については、軽く目を伏せただけで何も言わなかった。
部隊が解散し、兵たちがそれぞれに散る中、どことなく重い足取りで近づいてきたランに、アゾニアは諭すような口調で、静かに言った。
「敵の偵察部隊がわんさか飛んでるんだ。あまり無茶するな」
「……」
ヴェルティンカの死が頭にちらつくランには、その言葉は重く響いた。
「やること山ほどあるからな。一休みしたら、報告に来い」
アゾニアが向きを変え、木立の中に姿を消すのと同時に、兵士が一人駆け寄ってきて何かを手渡そうとした。
「増加食です」
帰隊した者たちに配られている糧食だ。手を出すと、例の「白い粉を固めたもの」であった。
「げ」
「げ、じゃねぇよ!このアタシがさらに工夫を重ねたんだ!食ってから文句言え」
恐るべき地獄耳でそれを聞きつけたアゾニアの声が林の奥から飛んできて、ランは首をすくめた。
木々は鬱蒼というよりは、ほどよく疎らに生えていて、巨人たちが歩き回るのをさほど邪魔はしなかった。その木を巧みに利用して、軍団は野営地を築いていた。巨大な装備類も、刈り取った枝で覆えば、充分に身を隠せる。
上官の無事に心底安堵した様子のフィムナは、ランを割り当てのねぐらに案内した。木の間に張り渡した擬装網の上に、枝を並べただけのものであったが、木々の葉が苛烈なアフリカの太陽を遮り、通り抜ける風も心地よい。頭の隅をちらつくあの嫌な感覚さえなければ、これまでのどの野営地より居心地良さそうであった。
ランは簡易ベッドに腰掛けると、躊躇しながら口を開いた。
「フィムナ…」
「はい?」
「私…ここに来たことないよね…」
「は?」
「こんな感じの、植物がいっぱいの所…」
「参謀、どうしたんです。私達の艦隊は一度も…」
「ううん…」
会話を打ち切ると、ランはともかくも腹ごしらえを開始した。
正直、あまり気が進まなかったが、この白い塊は口の中で溶けると、ほんのりとした甘みが広がった。驚くランにフィムナは得意気に説明した。
「"サトウ"の粉を混ぜると甘くなるんですよ」
口の端を白くしながらそれを食べ終えると、ランは気になっていた事をつぶやいた。
「アゾニア…なんだか元気ないみたい…」
「……」
フィムナは顔を曇らせて俯き、言いにくそうに打ち明けた。
「兵士の…逃亡があったんです…」
「……」
あれから何回か、アゾニアの部隊は統合軍のパトロール部隊を撹乱させるためと食料調達を兼ねて、街に襲撃をかけた。
が、戻ってみると兵士の数が足りない…ということが度々あった。戦死ではない。それであれば生体反応の停止を知らせる信号が発信されるはずだ。
もちろんアゾニアは逃亡など絶対に許す気はない。が、街の中で消えられてはどうすることもできなかった。
同じ事が続けばさらに他の者の逃亡を誘うことになる。結果、アゾニアは街への襲撃を控えざるを得なかった。
「……」
ランは眉間に皺を寄せながら、フィムナの話を聞いた。
ブリタイ艦から戻ることのなかった二人の工作員と、この話が重ね合わされた。
――ここの人たちが『敵』には見えない…
彼らが発したその言葉は、戻った仲間の工作員よりもむしろ、それを通り越してランの心に絡みつく。
あの砂漠で出会った女は言っていた。自分達を仲間として受け入れたいと。
「なんで、奴らはそんなことを…」
マイクロンの星に手を出してはならない…古くからの戒めを思い出し、ランはひどく憂鬱な気分になった。
一眠りすると、ランはアゾニアの姿を求めて野営地を歩いたが、いつも居場所を明確にしている女指揮官が、この時は一人で森の中をほっつき回っており、探すのに骨が折れた。
見つけ出したアゾニアは、木立の中、何をするでもなくブラブラとしていた。少なくともランにはそう見えた。その顔が先ほどとは打って変わって生き生きと見えたのは、気のせいだろうか。
「な、ヘンだろ?調べに行かせてるが、この森、まだずっと続いているようなんだ…」
アゾニアはさかんに、これほどに植物があることを不思議がった。
500万の艦隊による一斉攻撃をこの星は受けたのだ。たとえ直接の砲撃を免れた地域があったとしても、高温に熱された大気で、全てが蒸し焼きになったはずだ。
「あの後で新しく出てきたんじゃないの?これって、勝手に出てくるものなんでしょう?」
一方のランには、そのことがそれほど大した事には思えない。
アゾニアはさも納得がいかないという風にしかめ面をした。
「こんなに早く生長するもんじゃない。現に地球人の奴らだって、自然なんとか計画ってのをやってるが、ショボショボした草を生やしてるのがせいぜいだろ」
「ふーん…」
なぜかアゾニアはこの場所が気に入っているようで、木に触れてみたり、観察するように目を近づけてみたりしている。
「アゾニアは、植物が好きなの?」
「まあ、好きって言えば好きかな…」
「……」
ランは辺りの木々を見回した。
アゾニアの言う事も分からなくはない。だが、この風景は、あの悪夢に度々現れる景色に似ていて、どうもむずむずと落ち着かない気分にさせられるのだ。
「あたし達は…この星以外でも、数え切れないぐらい地面を焼いてきた…」
木肌を撫でながら、アゾニアは誰にともなくつぶやいた。
「だが不思議なもんで、またしばらく経つと、植物は勝手に生えてくる。昔は気にも留めなかったが、そのうち、なんかそういうのを見ると嬉しくなってな…」
ビーム砲や有質量弾が地面をえぐり、植物や仲間を焼く。兵士はまた兵員工廠から補充されてくる。が、焼けた土から新たに芽吹く植物は、兵士が補充されるのとは何か違う。彼女は長年の間に、そう感じるようになっていた。
「そうだ」
思い出したように、アゾニアは振り返った。
「お前、風呂に入りたがってたろ」
「え!?」
ランはパッと顔を輝かせた。しかし、うきうきとしながら連れてこられた場所には、小さな水の流れがあるだけであった。不思議そうに振り返る記録参謀に対し、アゾニアは顎をしゃくった。
「ホラよ」
「ホラって、何すればいいの…」
そう言われるんじゃないかと内心、半分ぐらいは思っていたアゾニアであった。
「水浴び!!あいつらみたいにすりゃいいんだよ」
指差した先では、数人の女兵士が流れに身を浸し、楽しげに水を掛け合っている。
「……」
期待していたのとはあまりに違う光景に絶句したが、この星では何もかも、過大な期待はできないということはこれまで散々思い知らされていたから、ランは諦めて薄汚れた戦闘服を脱ぎ、恐る恐る、流れに足をつけてみた。
気温の高さとは対照的に、水は冷たかった。
「……!!」
水は巨人の膝下ほどの深さで、底が見えるほど透明で、かつて彼女を飲み込んだあの黒い濁流とは全く違う。意外な心地よさにランは驚き、ざばざばと音を立てて水の中を歩いてみた。揺れる水面が日の光を反射してきらきらと輝いた。
「あは、面白い」
水への恐怖は一瞬で消し飛んだ。ランはその場にしゃがみ、水をすくっては放り投げてしぶきがかかるのを楽しんだ。その様子は、まるで公園の噴水で遊ぶ幼子のようであった。
アゾニアは暇なのか、川岸の木陰に腰を下ろし、その様子を眺めている。
その視線は白く細い足に止まった。あの時の傷が、醜くひきつれた痕となってしまっている。自身の体の傷は誇りに思っている彼女だが、ランのそれに対しては、どういう訳か後ろめたさを感じるのだった。
その時、後方でにわかに騒々しい声が上がり、アゾニアは振り返った。
見ると、それは数人の男子兵達で、驚愕と狼狽の、悲鳴にも似た叫びだった。偶然、通りかかったところ、水浴びをする女兵士達と出くわしたらしい。
転がるようにその場を逃げ出した男達を見て、女兵士達はドッと笑った。
「……」
興味なさげに視線を戻すと、気が済んだらしいランが、水滴をしたたらせながら近付いてくるところであった。そのまま草の上にうつ伏せにゴロリと転がる姿を見て、アゾニアは苦笑した。
「ちょ、寝るなら服ぐらい…」
が、ランはすぐに上体を跳ね起こした。頭を抱え、苦痛に顰めた顔はすでに蒼白である。
「また痛むのか!?」
「草の匂いかいだら、急に…」
水浴びをしていた女兵士たちが、何事かとこちらを窺っている。彼女らに外せと手で合図すると、アゾニアはランを抱え起こし、自分が寄りかかっていた岩を背に、楽な姿勢で座らせた。
脱ぎ捨てられていた作業服を丸め、首の後ろにあてがうと、その顔を覗き込んだ。冷や汗が浮かんだ、生気のない顔。出会った当初から、顔色の悪さが気になっていたが、今は果たして血が通っているのかと心配になる程蒼白い。
しばらくして、ため息を一つつくと、ランは目を閉じたまま、小さな声を出した。
「アゾニア…私、ここに来たことがあるような気がする…」
「ええ?」
「こんな感じに、植物がたくさんあって、ううん、もっとずっと大きくてたくさんの植物があった気がする…」
「……」
「頭が痛い時…浮かぶんだ…頭の中に…」
色の悪い唇が震えた。
「なぜかそれが、とても怖くて怖くて…」
その様子を見てアゾニアは確信した。やはりランの心の奥底には、巨大な恐怖がある。記憶を阻害している重い塊が…
――こいつの頭の中に、一体何が…
その時、ふと一つの考えが、頭の隅をかすめた。
――まさか、こいつ、記憶に何か細工されてるんじゃ…
「お前…」
「え?」
「いや…」
アゾニアは悲しげな顔をした。それが分かったところで、自分にはどうすることもできないではないか…。
アゾニア軍団の野営地の一角にある武器庫。ひそひそと声をひそめ、周囲を気にする様子から、その内容が後ろめたいものであることは明白であった。
「考えたんだけど…俺はやっぱりやめといた方がいいと思うな…」
一人の兵士が俯きかげんに言った。
「俺もやめとく…自信ねぇもん…」
別の兵士もそれに合わせ、力なく言った。
しかし、いま一人の兵士が、小さいながらもはっきりとした声で宣言した。
「俺は…行くよ」
「おい…」
「ボスにバレたら、ただじゃ済まないぞ?」
「銃殺刑だぞ」
口々に心配の声をあげる仲間に、その兵士はもう一度、自らの決意を確かめるように言った。
「…けど…やっぱり行く。決めたんだ」
「なぜだ!?ウマイもんがあるからか?ウタか?そりゃ、確かにそれもいいけど…きっといずれ飽きる。一時の感情に惑わされたら、後で後悔するぜ!?」
「地球人の奴らは、平等だとか何とか言ってるけど、そんなの俺達を惑わす宣伝に決まってるだろ。現に地球の生活が嫌だって、街を離れる者がいるじゃないか!」
彼らの言葉は、真剣に戦友を案じていた。
「分かってるよ…!たやすい事じゃないっのては…食いもんなんかどうだっていいんだ。テレビも、ウタもいらない。でも…俺達の世界では…」
兵士は後ろを振り返った。そこには、同じように神妙な顔をしてたたずむ女兵士の姿があった。
「俺達の世界では…男と女は一緒にいられない…」
「……」
「俺は…ずっとこいつと一緒にいたいんだ…」
女兵士も、相槌を打つように頷いた。
兵士達には、返す言葉がなかった。
この二人がよく親しげに話しているのを、仲間の多くが知っていた。親しい戦友がいるのは何も珍しい事ではない。この二人の事も、誰もそんなに気に留めていなかった。
「手を貸してくれなんて言えない。ただ、知らぬ存ぜぬを通してくれたら…ありがたい…」
これまで彼らが知らなかった何かが、知らず知らずのうちに、この軍団の中にも育ちつつあった。固いコンクリートの下で芽吹きの時を待つ、小さな種子のように…。
* * *
「先日は、すみませんでした。中佐…」
とある日の士官食堂、昼食を終え、立ち上がろうとしたドールに声を掛けた者があった。振り向くと、早瀬未沙少佐の少々気後れしたような顔がある。
何のことかと思ったが、すぐに先日の展望室での事だと思い出し、ドールは軽く苦笑した。未沙の律儀さに、どこか自分と似た匂いを感じた。
「私のことをお探しだったと聞いて…」
「あ、ええ…少佐は、歴史にお詳しいのかと思って」
地球人がどうやってこの星に誕生し、これまで歩んできたのかを知りたかった、と、彼女は説明した。
そこで、思いがけずゼントラーディ人の誕生についての話を聞くことになったのだが。
「私自身、ゼントラーディ人の出自について疑問を持っていたところだったので、別にどうこうとは思っていません」
この人は賢いのだな、と未沙は思った。たとえ彼らのルーツについてを秘密にしたところで、いずれ彼女のように真実にたどりつく者は現れるだろう。
「ところで、少佐、もう管制官はやめるのですか?艦艇運用は全くの畑違いでしょう」
「え、ええ…」
未沙は軽く周りを見回すと、場所を替えることを提案した。聞かれて困る話ではないが、立ち話で済むものでもないらしい。
PXの片隅にある喫茶店で、まずい代用紅茶にミルクを投入しながら未沙は語った。
「実は、宇宙移民計画、というのがあるのです」
「イミン…」
不思議そうな顔をするドールに、未沙は順を追って説明した。
地球人類はボドル基幹艦隊の攻撃から辛くも全滅を逃れたが、もし同様のことがあればもう勝算はない。しかし居住可能な星を見つけて移住し、第二、第三の地球と成せば、たとえ地球という星が宇宙から消えても、人類とその文化は生き続けることができる。
そのための艦が現在、月基地で建造中であること、そして彼女、早瀬未沙がその艦の艦長となることが決定しているという話だった。
「正直、私には荷が重いのではと思いましたが、グローバル総司令のたっての希望で…そんな訳で、今猛勉強中ですわ」
未沙ははにかんだような笑顔を見せた。
艦長の任だけなら他に優れた者がいくらでもいる。しかし、それだけでは駄目なのだ。両種族の共存に心を砕き、地球人の流儀にゼントラーディ人を押し込めるのではなく、両者が無理なく快適に暮らしていける、全く新しい世界を目指せる人間でないと…。
であるから、直にゼントラーディの世界を見聞きし、そして何より若く純粋な心を持つ未沙に白羽の矢が立ったのだ。
「言ってみれば、『ねずみ作戦』ですわね」
ネズミという動物は、小さくて弱くて、他の生き物にいつも食べられてしまうが、食べられる以上の速さで増えているので、この世からネズミが消えることはないという。
それはすごい発想だ、とドールは思った。
地球人はひ弱だが、生きる意欲、バイタリティはゼントラーディ人に勝るとも劣らない。武力では巨人族に遠く及ばない彼らが、ゼントラーディ軍や監察軍に匹敵する銀河の一大勢力になる日もいずれ訪れるのではないか。
いや、何千、何万周期経とうと前に進むことのない巨人族など…。
「……」
ドールはふと、つい先だっての休日に起こった、ある出来事を思い出した。
元、旗艦アルタミラの乗員だった若い女二人が突然、訪ねてきたのだ。
二人は挨拶もそこそこに、すがるような目で訴え出た。
「閣下、どうか我々と一緒に、アフリカという所に行ってもらえませんか!?」
「?」
唐突な申し出に、ドールは面食らった。
「そこに地球人に対抗している一団があるらしいと聞いて、勇気が湧いたんです。ぜひとも仲間に加わりたいと思ったのです。閣下、お願いです。我々と一緒に彼らに加わってもらえませんか?閣下が立ち上がれば、きっと多くの仲間が集められます!」
ともかくも二人を家に入れ、話を聞くと、彼女らは半泣きになりながら、勤めていた工場を突然解雇されたこと、数か月も給料の未払いが続いた上のことで、当然、退職金とやらももらえなかった事などを話した。
誰も頼る者のない二人は、やっとのことでこの官舎を探し当て、遠くの街から徒歩で来たのだという。
ドールは顔を曇らせた。地球で暮らすゼントラーディ人が、必ずしも満足のいく生活をしていないことは彼女も知っていた。
ドールは立ち上がると、二人の肩に手をおいた。
「よく聞きなさい。地球人と争いをもって何かを解決しようとしてはいけない。そうすれば彼らは、我々を愚かで野蛮な者として、ますます見下すだろう」
何とか力になってやりたいが、こういう場合どうしたらよいかは彼女もアイデアがない。ともかくも、二人の働いていたという工場に電話をかけてみた。
休日にもかかわらず、社長だという人物が出てきたのは、よほど小さな工場なのだろうが、彼女にはそこまでは分からない。
ドールは身分を明かした上で、事情を話し、せめて給料の未払いだけでも何とかしてやってもらえないか、と話したが、その男はあれこれと言い訳めいた事ばかりを言い、言質を取らせなかった。彼にしてみれば、世間知らずのゼントラーディ人を煙に巻くなど、造作もないことだろう。
肩を落とすドールに対し、二人の元部下は感謝と口惜しさの涙を流した。聞けば、これまで何回も同様の目に会っているという。
命令に従うことしか知らずに生きてきたゼントラーディ人は、おしなべて真面目によく働き、辛抱強い。そこに付け込む心無い経営者もいた。
いくら彼らでも、このような仕打ちが続けば見下されているのだと気付く。働くことは全く苦ではない。が、見下されることは我慢ならなかった。
「どうしてこんな目に遭わねばいけないのですか…私達は、何も悪いことはしていません!」
「そうだ…お前達は何も悪くはない」
ドールは断言した。定められた運命に従い、任務に忠実に生きてきたことを「悪」などと決め付けられるいわれはない。
「…だが、彼らにとっては、この地球という星は、かけがえのないものだったのだ。それを破壊してしまったのだから、彼らの怒りも憎しみも当然だ…だが、卑屈になってはいけない。こちらが卑屈になれば、地球人は自分達が善で我々が悪だと余計思い込み、より威圧的になる。理不尽な事もあるだろうが…」
「はい…」
「地球人とは不幸な出会い方をしたが、本来の敵ではない。我々に手を差し伸べてくれる地球人も必ずいる。彼らに軽んじられないためには、彼らに負けないだけの知識を身につけるしかない。そう私は思っている…」
「…はい…」
元兵士達は一応は納得した様子で、何度も礼を言い、官舎を後にした。
当座の生活費を渡しはしたが、それでよかったのかという思いはずっとつきまとった。他にも困っている元部下や他のゼントラーディ人は多くいるだろうし、自分の力ではそれらをすべて救済する事などできはしない。
多くのゼントラーディ人にとって、この星はまだ「敵地」なのだ。
「少佐、その…移民する星が見つかったとして…」
ドールは遠くを見るように、視線を上に向けた。
「そこでは、我々ゼントラーディ人と地球人は、わだかまりなく暮らしていけるでしょうか」
未沙はハッとした。彼女の言いたい事が分かったのだ。
地球という星の上にいる限り、地球人もゼントラーディ人も、ゼントラーディ人が地球を破壊したという事実の呪縛に囚われ続けることとなる。
それは、両者にとって不幸なことだ。
「ええ、ええ…!もちろんですとも」
瞳をキラキラと輝かせながら、未沙は「新天地」の理想を語った。単に地球の文化、文明をそっくり移植するのではなく、地球、ゼントラーディ両者の文化を融合した全く新しい世界を作るのだ、と。
「今はゼントラーディの人たちに不自由な思いをさせてますけど…新しい星では、巨人族が大きいままでも暮らせるような、そんな工夫もしたいですわ」
少女のようなその表情を見て、ドールは少々羨ましいような気持ちになった。が、ただ羨ましいだけではない。何か勇気づけられるような気がしたのだ。そうか、これが夢を描くということか…。
少し難しく考え過ぎていたようだ。自分にもできるかも知れない。
* * *
砂漠をひたすら走ること数日、出迎えの兵と合流したランの一行は、本隊の隠れるアフリカ大陸東部の谷間へとたどり着いた。
そこは、全く不思議な所であった。
濃い緑の草、伸びやかに枝を広げる木々。これまでごくたまに見かけた、乾きかけた弱々しい植物とはまるで違う、勢いのよい大小様々な植生が、一旦は死んだはずの大地を覆っている。
進むほどに樹木の数は増え、豊かな森となった。樹々の高さは彼ら巨人族の装備を隠してあまりあるほどである。
兵達の中にはこのような景色を見たこともない者が多く、思わず車両のハッチから身を乗り出して外を眺める者もいた。
多くの兵達とは真逆に、ランはあまり浮かない顔であった。
「あの景色に似ている…」
度々彼女を苦しめる悪夢の景色に、驚くほどよく似ているではないか。
体の底から湧き上がる妙な感覚。何かのイメージが次々と浮かんでは、はっきりとした形になる前に消えた。
思い出しそうで思い出せない。常人にはありがちなその感覚が、記録参謀にはひどく不愉快だった。
再会したアゾニアはいつもと変わらぬ様子で、別働隊の苦労を労った。ヴェルティンカの死については、軽く目を伏せただけで何も言わなかった。
部隊が解散し、兵たちがそれぞれに散る中、どことなく重い足取りで近づいてきたランに、アゾニアは諭すような口調で、静かに言った。
「敵の偵察部隊がわんさか飛んでるんだ。あまり無茶するな」
「……」
ヴェルティンカの死が頭にちらつくランには、その言葉は重く響いた。
「やること山ほどあるからな。一休みしたら、報告に来い」
アゾニアが向きを変え、木立の中に姿を消すのと同時に、兵士が一人駆け寄ってきて何かを手渡そうとした。
「増加食です」
帰隊した者たちに配られている糧食だ。手を出すと、例の「白い粉を固めたもの」であった。
「げ」
「げ、じゃねぇよ!このアタシがさらに工夫を重ねたんだ!食ってから文句言え」
恐るべき地獄耳でそれを聞きつけたアゾニアの声が林の奥から飛んできて、ランは首をすくめた。
木々は鬱蒼というよりは、ほどよく疎らに生えていて、巨人たちが歩き回るのをさほど邪魔はしなかった。その木を巧みに利用して、軍団は野営地を築いていた。巨大な装備類も、刈り取った枝で覆えば、充分に身を隠せる。
上官の無事に心底安堵した様子のフィムナは、ランを割り当てのねぐらに案内した。木の間に張り渡した擬装網の上に、枝を並べただけのものであったが、木々の葉が苛烈なアフリカの太陽を遮り、通り抜ける風も心地よい。頭の隅をちらつくあの嫌な感覚さえなければ、これまでのどの野営地より居心地良さそうであった。
ランは簡易ベッドに腰掛けると、躊躇しながら口を開いた。
「フィムナ…」
「はい?」
「私…ここに来たことないよね…」
「は?」
「こんな感じの、植物がいっぱいの所…」
「参謀、どうしたんです。私達の艦隊は一度も…」
「ううん…」
会話を打ち切ると、ランはともかくも腹ごしらえを開始した。
正直、あまり気が進まなかったが、この白い塊は口の中で溶けると、ほんのりとした甘みが広がった。驚くランにフィムナは得意気に説明した。
「"サトウ"の粉を混ぜると甘くなるんですよ」
口の端を白くしながらそれを食べ終えると、ランは気になっていた事をつぶやいた。
「アゾニア…なんだか元気ないみたい…」
「……」
フィムナは顔を曇らせて俯き、言いにくそうに打ち明けた。
「兵士の…逃亡があったんです…」
「……」
あれから何回か、アゾニアの部隊は統合軍のパトロール部隊を撹乱させるためと食料調達を兼ねて、街に襲撃をかけた。
が、戻ってみると兵士の数が足りない…ということが度々あった。戦死ではない。それであれば生体反応の停止を知らせる信号が発信されるはずだ。
もちろんアゾニアは逃亡など絶対に許す気はない。が、街の中で消えられてはどうすることもできなかった。
同じ事が続けばさらに他の者の逃亡を誘うことになる。結果、アゾニアは街への襲撃を控えざるを得なかった。
「……」
ランは眉間に皺を寄せながら、フィムナの話を聞いた。
ブリタイ艦から戻ることのなかった二人の工作員と、この話が重ね合わされた。
――ここの人たちが『敵』には見えない…
彼らが発したその言葉は、戻った仲間の工作員よりもむしろ、それを通り越してランの心に絡みつく。
あの砂漠で出会った女は言っていた。自分達を仲間として受け入れたいと。
「なんで、奴らはそんなことを…」
マイクロンの星に手を出してはならない…古くからの戒めを思い出し、ランはひどく憂鬱な気分になった。
一眠りすると、ランはアゾニアの姿を求めて野営地を歩いたが、いつも居場所を明確にしている女指揮官が、この時は一人で森の中をほっつき回っており、探すのに骨が折れた。
見つけ出したアゾニアは、木立の中、何をするでもなくブラブラとしていた。少なくともランにはそう見えた。その顔が先ほどとは打って変わって生き生きと見えたのは、気のせいだろうか。
「な、ヘンだろ?調べに行かせてるが、この森、まだずっと続いているようなんだ…」
アゾニアはさかんに、これほどに植物があることを不思議がった。
500万の艦隊による一斉攻撃をこの星は受けたのだ。たとえ直接の砲撃を免れた地域があったとしても、高温に熱された大気で、全てが蒸し焼きになったはずだ。
「あの後で新しく出てきたんじゃないの?これって、勝手に出てくるものなんでしょう?」
一方のランには、そのことがそれほど大した事には思えない。
アゾニアはさも納得がいかないという風にしかめ面をした。
「こんなに早く生長するもんじゃない。現に地球人の奴らだって、自然なんとか計画ってのをやってるが、ショボショボした草を生やしてるのがせいぜいだろ」
「ふーん…」
なぜかアゾニアはこの場所が気に入っているようで、木に触れてみたり、観察するように目を近づけてみたりしている。
「アゾニアは、植物が好きなの?」
「まあ、好きって言えば好きかな…」
「……」
ランは辺りの木々を見回した。
アゾニアの言う事も分からなくはない。だが、この風景は、あの悪夢に度々現れる景色に似ていて、どうもむずむずと落ち着かない気分にさせられるのだ。
「あたし達は…この星以外でも、数え切れないぐらい地面を焼いてきた…」
木肌を撫でながら、アゾニアは誰にともなくつぶやいた。
「だが不思議なもんで、またしばらく経つと、植物は勝手に生えてくる。昔は気にも留めなかったが、そのうち、なんかそういうのを見ると嬉しくなってな…」
ビーム砲や有質量弾が地面をえぐり、植物や仲間を焼く。兵士はまた兵員工廠から補充されてくる。が、焼けた土から新たに芽吹く植物は、兵士が補充されるのとは何か違う。彼女は長年の間に、そう感じるようになっていた。
「そうだ」
思い出したように、アゾニアは振り返った。
「お前、風呂に入りたがってたろ」
「え!?」
ランはパッと顔を輝かせた。しかし、うきうきとしながら連れてこられた場所には、小さな水の流れがあるだけであった。不思議そうに振り返る記録参謀に対し、アゾニアは顎をしゃくった。
「ホラよ」
「ホラって、何すればいいの…」
そう言われるんじゃないかと内心、半分ぐらいは思っていたアゾニアであった。
「水浴び!!あいつらみたいにすりゃいいんだよ」
指差した先では、数人の女兵士が流れに身を浸し、楽しげに水を掛け合っている。
「……」
期待していたのとはあまりに違う光景に絶句したが、この星では何もかも、過大な期待はできないということはこれまで散々思い知らされていたから、ランは諦めて薄汚れた戦闘服を脱ぎ、恐る恐る、流れに足をつけてみた。
気温の高さとは対照的に、水は冷たかった。
「……!!」
水は巨人の膝下ほどの深さで、底が見えるほど透明で、かつて彼女を飲み込んだあの黒い濁流とは全く違う。意外な心地よさにランは驚き、ざばざばと音を立てて水の中を歩いてみた。揺れる水面が日の光を反射してきらきらと輝いた。
「あは、面白い」
水への恐怖は一瞬で消し飛んだ。ランはその場にしゃがみ、水をすくっては放り投げてしぶきがかかるのを楽しんだ。その様子は、まるで公園の噴水で遊ぶ幼子のようであった。
アゾニアは暇なのか、川岸の木陰に腰を下ろし、その様子を眺めている。
その視線は白く細い足に止まった。あの時の傷が、醜くひきつれた痕となってしまっている。自身の体の傷は誇りに思っている彼女だが、ランのそれに対しては、どういう訳か後ろめたさを感じるのだった。
その時、後方でにわかに騒々しい声が上がり、アゾニアは振り返った。
見ると、それは数人の男子兵達で、驚愕と狼狽の、悲鳴にも似た叫びだった。偶然、通りかかったところ、水浴びをする女兵士達と出くわしたらしい。
転がるようにその場を逃げ出した男達を見て、女兵士達はドッと笑った。
「……」
興味なさげに視線を戻すと、気が済んだらしいランが、水滴をしたたらせながら近付いてくるところであった。そのまま草の上にうつ伏せにゴロリと転がる姿を見て、アゾニアは苦笑した。
「ちょ、寝るなら服ぐらい…」
が、ランはすぐに上体を跳ね起こした。頭を抱え、苦痛に顰めた顔はすでに蒼白である。
「また痛むのか!?」
「草の匂いかいだら、急に…」
水浴びをしていた女兵士たちが、何事かとこちらを窺っている。彼女らに外せと手で合図すると、アゾニアはランを抱え起こし、自分が寄りかかっていた岩を背に、楽な姿勢で座らせた。
脱ぎ捨てられていた作業服を丸め、首の後ろにあてがうと、その顔を覗き込んだ。冷や汗が浮かんだ、生気のない顔。出会った当初から、顔色の悪さが気になっていたが、今は果たして血が通っているのかと心配になる程蒼白い。
しばらくして、ため息を一つつくと、ランは目を閉じたまま、小さな声を出した。
「アゾニア…私、ここに来たことがあるような気がする…」
「ええ?」
「こんな感じに、植物がたくさんあって、ううん、もっとずっと大きくてたくさんの植物があった気がする…」
「……」
「頭が痛い時…浮かぶんだ…頭の中に…」
色の悪い唇が震えた。
「なぜかそれが、とても怖くて怖くて…」
その様子を見てアゾニアは確信した。やはりランの心の奥底には、巨大な恐怖がある。記憶を阻害している重い塊が…
――こいつの頭の中に、一体何が…
その時、ふと一つの考えが、頭の隅をかすめた。
――まさか、こいつ、記憶に何か細工されてるんじゃ…
「お前…」
「え?」
「いや…」
アゾニアは悲しげな顔をした。それが分かったところで、自分にはどうすることもできないではないか…。
この記事へのコメント
「白い粉を固めたもの」に味がついた様で何よりです
アゾニアが自分の無力を感じて次回への引きとなりましたが、アゾニアは決して無力ではないし、いざとなれば地球にはドール中佐もエキセドル参謀も早瀬少佐もいるので、前途は暗いばかりではありませんね(「途」の選び方次第ともいえますが)。次回も楽しみにしています。
2012/04/23(月) 03:26:01 | URL | 類 #dZ0847IM[ 編集]
●類さん
ありがとうございます。
白い粉+砂糖、あとタマゴか牛乳が入ればそれなりのお菓子になるかも...??(笑)
アゾニアは指揮官として、ランのことばかりに構ってられないんで、それも気にしてるんですね。
でも、もちろん彼女なりに最善をつくそうと考えてます。
ぜひ、続きをお待ちくださいね。
ありがとうございます。
白い粉+砂糖、あとタマゴか牛乳が入ればそれなりのお菓子になるかも...??(笑)
アゾニアは指揮官として、ランのことばかりに構ってられないんで、それも気にしてるんですね。
でも、もちろん彼女なりに最善をつくそうと考えてます。
ぜひ、続きをお待ちくださいね。
2012/04/24(火) 00:06:15 | URL | 作者。 #f4U/6FpI[ 編集]
■拍手コメントお礼
●23日の方
ありがとうございます。
応援コメは何よりの心のカンフル剤です(^ ^)
地球人とゼントラ人の間にはシビアな現実もあるはずなんですね。あまり深く掘り下げると際限なくなってしまうので書きませんが...
早瀬さんなら、一歩一歩、地味でも着実に理想へ向かっていけると思います。
ありがとうございます。
応援コメは何よりの心のカンフル剤です(^ ^)
地球人とゼントラ人の間にはシビアな現実もあるはずなんですね。あまり深く掘り下げると際限なくなってしまうので書きませんが...
早瀬さんなら、一歩一歩、地味でも着実に理想へ向かっていけると思います。
2012/04/24(火) 00:44:11 | URL | 作者。 #f4U/6FpI[ 編集]
料理!
小麦粉に砂糖を混ぜて捏ねて焼く
立派な料理ですよ!アフリカ大陸でね
キャッサバ(芋やジャガイモの一種)を
粉末にして焼く、堅パン?インドのナンみたいなのが有るの 砂糖じゃなく塩を混ぜるんだけどね ゾニアが司令官として仲間を思えばこそ 発案(試行錯誤)したんだと思うんですよ
水浴びに興じるメルちゃん'sに 偶然に目撃したゼンちゃん's・・・・・
小説版「愛・覚」の輝未沙を思い出しちゃった(w)
ドール女史も 夢や希望 を描く事のキッカケを掴んだみたいだし
この先の展開が未知数で ワクワクです 特にゾニアのオオカミ旅団軍内部に
夫婦者が現れたのに興奮してる バボです
立派な料理ですよ!アフリカ大陸でね
キャッサバ(芋やジャガイモの一種)を
粉末にして焼く、堅パン?インドのナンみたいなのが有るの 砂糖じゃなく塩を混ぜるんだけどね ゾニアが司令官として仲間を思えばこそ 発案(試行錯誤)したんだと思うんですよ
水浴びに興じるメルちゃん'sに 偶然に目撃したゼンちゃん's・・・・・
小説版「愛・覚」の輝未沙を思い出しちゃった(w)
ドール女史も 夢や希望 を描く事のキッカケを掴んだみたいだし
この先の展開が未知数で ワクワクです 特にゾニアのオオカミ旅団軍内部に
夫婦者が現れたのに興奮してる バボです
2012/04/24(火) 00:54:12 | URL | 敦賀屋バボ #grGQ8zlQ[ 編集]
●敦賀屋バボさん
そういえば、穀物粉+水だけで作る主食はよくありますね。あとは「焼く」ことに思い至ればいいんですが...(笑)
水浴びは...その手のハプニングは絶対起こりうると思うんですが、あまり色々書いてもギャグにしかならないので、ほどほどにしときますv
トップ解説にラブはないとか書きましたけど、それほど露骨ではない範囲で、ちょっとあるかも知れませんねー。
がんばります。
そういえば、穀物粉+水だけで作る主食はよくありますね。あとは「焼く」ことに思い至ればいいんですが...(笑)
水浴びは...その手のハプニングは絶対起こりうると思うんですが、あまり色々書いてもギャグにしかならないので、ほどほどにしときますv
トップ解説にラブはないとか書きましたけど、それほど露骨ではない範囲で、ちょっとあるかも知れませんねー。
がんばります。
2012/04/25(水) 00:22:33 | URL | 作者。 #f4U/6FpI[ 編集]
ラブ~?
姐さん 今回のは「ラブ」って言うより
仲間意識とは別の 男女の離れたく無い願い&戦友達に罰が降り無い様にしたい 思いやり&絆 だと感じましたよ 俺はコイツと一緒に・・・・
地球人でも中々言え無いのに、御法度の彼から出たんだもん バボちゃんおメメはウルウルです
仲間意識とは別の 男女の離れたく無い願い&戦友達に罰が降り無い様にしたい 思いやり&絆 だと感じましたよ 俺はコイツと一緒に・・・・
地球人でも中々言え無いのに、御法度の彼から出たんだもん バボちゃんおメメはウルウルです
2012/05/06(日) 08:48:02 | URL | 敦賀屋バボ #grGQ8zlQ[ 編集]
●敦賀屋バボさん
そうですねぇ。確かに目指してるトコロは、戦友の絆を、もうちょっと発展させたような関係...的なものなんですよ。
元々恋愛要素は苦手なんで、甘甘なのは書けませんから...私なりの表現でやってこうと思ってますー。
そうですねぇ。確かに目指してるトコロは、戦友の絆を、もうちょっと発展させたような関係...的なものなんですよ。
元々恋愛要素は苦手なんで、甘甘なのは書けませんから...私なりの表現でやってこうと思ってますー。
2012/05/10(木) 23:04:57 | URL | 作者。 #f4U/6FpI[ 編集]
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